残夏、スズムシ、爛れたおとな。(ニスフル)

mgdニスフル

(※メギド72としての戦いを終えた後、現代まで生き残っているメギド達のおはなしです)

 

 

「まぁ、仕方ないかぁ…」

さらりと淡いブルーの前髪をなびかせフルフルさんが眠そうに目をこする。小柄で幼女みたいな見た目だが、歳はたぶん俺より年上で、この料理店の店長だ。先週有名なフードライターが隠れた名店として取り上げてくれたせいで、住宅街にひっそりと佇む小さなこの店の前には今まで見たことないような行列ができている。たま~に店長がやる気をだした時という気まぐれな営業日が一体どうして知れ渡ったんだか、ネット社会って怖い。

料理ができるのは店長だけで、料理上手な訳でもない普通の男子大学生なバイトの俺にできるのはホールの接客と皿洗いくらい。いくら店長でも一人でこの数は捌ききれないだろう。…たぶん、途中で寝ちゃうし。

「お客さんには申し訳ないですけど…今日は臨時休業にしますか」
「でもいつも臨時休業だからねぇ」
つまり、今日の店長はやる気らしい。彼女は「ちょっと待ってて」と言って厨房をいったん出ると、自分の荷物からスマートフォンを取り誰かに電話をかける。
「あ。ひさしぶり~。君今日仕事?」
「久々に店を開けようと思ったんだけど、お客さんが結構多くてさ…へへ~、そういうこと」
「それくらいならお安い御用だよ。…三十分?わかった」

短い電話を終えると、店長はスマートフォンを自分の荷物の中にしまい、茫然と立っていた俺をくるりと振り返った。

「開店三十分遅らせよう。手伝ってくれる人が来るからさぁ…ちょっとうるさいけど」

◆ ◆

(こわい)
厨房にやってきたその人の第一印象だ。こわい。百八十センチはゆうに超える長身、愛想のかけらもない無表情の威圧感。金色の目はタカとかワシとか猛禽類のようで、挨拶の時にジッと見られ蛇に食われるネズミみたいな気分になった。料理人に見えないどころか、港の倉庫で武器の密売とかやってそうな職業の人に見える。
ニスロクと名乗った彼は持参した黒いコックコートに着替え手を洗うと、業務用冷蔵庫を開き食材を確認し、続いて調味料の位置を確認する。突っ立ったままの俺にはもう目もくれず、仕事のためのルーティーンに没頭してるって感じだ。彼はメニューを開いてじっくり目を通すと、店長を振り返った。

「フルフル。ポークチョップのソースは蜂蜜と砂糖どちらを使っている」
「うちは蜂蜜。まぁ君の好きなようでいいよ~」
「貴様、それでも店主か…同じ料理で味にばらつきが出れば客から不満が出るだろうが」
「ふっふ、ぜったいにお店をやらない君がそんなことを言うなんてねぇ。だいじょうぶ、君なら何をどう作ったって誰からも文句が出ないくらい美味しいさ。君が退屈しないようにやってくれたらそれでいいよ」

険しい顔をしていたニスロクさんの纏うピリピリした空気が心なしか穏やかになった…気がする。

「そういうわけにはいかん、みな貴様の料理を食べに来ているのだぞ。中には何度も来ている者もいるだろう。前回と変わらない貴様の味を望む客の気持ちを大事にしてやれ」

だからさっさと各料理のソースの配合と盛り付けを教えろ、と言い募るニスロクさんはやっぱり少しカタギじゃない威圧感があるけど、でもお客さんの気持ちをよく考えてる人なんだな…と俺は感心した。

「教えろって言っても…もう開店まで時間ないよ」
「今まで貴様が私に食べさせたものはすべて覚えている。問題は残り…メニューではポークチョップとイサキのローストの2品だな。早くしろ」
「真面目だねぇ君は…」

いつものらりくらりの店長が折れているのが珍しい。それに、『フルフル』という呼び捨て。調味料の入ったステンレスポット前で話す距離の近さ。物理的な距離よりも、二人の空気がなんか…ずっと連れ添ってきた家族みたいで。新婚の時期ははるか昔に過ぎた熟年夫婦っぽさもあるけど、でも、まさかな? 店長が結婚してるなんて話聞いたことないし…いや、自分のことあんまり話さない人だからわかんねぇぞ。
とにかく俺はいつも変わらないのんびりとした態度で、顔はかわいいのに男の影を一切見せなかった店長が突然呼んだ昔からの知り合いというニスロクさんに…二人の関係に…正直言うと俺はかなり好奇心をくすぐられていた。まぁ、野次馬根性とも言う。

「開店だ。ドアを開けろ」

二人の後姿を眺めながら会話を盗み聞いていた俺を、ニスロクさんが振り返る。まるで自分の店のような口ぶりだ。店長も指揮系統は彼に預けたつもりなのか何も言わず伸びをしている。
鋭く向けられる眼光はやっぱり怖い。まくったコックコートの袖から伸びる腕の太さ。背も俺よりかだいぶ高いし、低い声で有無を言わせない口調を叩きつけられるとハイと返事をする以外何も言えない。さっきちょっと優しい人かもしれないと思ったが、やっぱオーダーミスったらやばそう!
慌てて入口に向かう俺の背後で、「それじゃがんばるかねぇ~。ねむくなるまで」という店長ののんきな声が聞こえた。

神業。ゴッド・ハンド。
ニスロクさんの料理の腕だ。コンロめいっぱいの四つの鍋を使い次々と料理を仕上げていく手際がヤバかった…。彼が片手で振るう鍋から宙へ舞い、鉄の表面に吸い込まれるように滑り落ちてはからりと色よく炒められていく野菜の数々。ミディアムレアのきれいな濃ピンクを見せるステーキから漂う香ばしい肉の香り。飴色のつややかなソース。四つの火を止めず料理を続けながら空き時間に必要な食材を刻み、調味料を調合する、オーブンを覗く、寝そうになっている店長を叱る……この人は本当に一人なんだろうか?俺が見てない瞬間に分身出してるんじゃないか?そう思うほどに超人的な働きぶりだった。

「君も大人数に料理作るのすっかりうまくなったねぇ」
「…あの場所に出入りしていたおかげかもしれんな」
「大人数だったからねー」

…あの場所? 二人はもともと同じ店にいたんだろうか。
店長とニスロクさんの会話に気を取られていた俺は、心配していた通りオーダーをミスった。オムライス2つとステーキ1つのところ、オムライス2つとステーキ2つと厨房に通してしまっていた。気づいた時にはすでにジュージューと肉汁を焦がす美味しそうなステーキが二皿、仕上がっていた。ウッ動悸がやべぇ。俺は床に頭を擦り付けて土下座をするイメトレをしっかりしてから、忙しそうなニスロクさんに、すみません…、と声をかけた。意外なことに、恫喝されはしなかった。ステーキが一食分余分にできてしまったことを知ったニスロクさんはこめかみに青筋を立てたが、怒鳴ることはなく「後で貴様が食べろ。決して無駄にするな」と言うだけで済ませてくれた。

閉店一時間前に食材が全部なくなり、今日の営業は終わった。最後の皿を洗い終え、水を切った俺のところにレジを締め終えた店長がやってきて「はい、これ君の分~。今日もありがとね」と今日の日当を渡してくれる。振り込みは面倒らしいいつもの店長のスタイルだ。経費とか税金とかちゃんと色々計算してんのかなこの人…?と他人事ながら不安を覚える。俺自身は毎回十分すぎるくらいもらっているからありがたいんだけどさ。

ニスロクさんはすでに身支度を終え、店の裏口の前で立っていた。店長と俺も外に出て、電灯を消した無人の店の鍵を閉める。

「じゃあね~。また今度開ける時連絡していいの?」
「あ、はい」
「大学の研究忙しいんじゃないの」
「そうすね、かなり研究が煮詰まってて普通のバイトができないんでむしろここで使ってもらって助かってます」

店長が気まぐれに開ける店くらいの方が。
俺の言わんとすることがわかったのか、店長は…フルフルさんは、あはは~、と笑った。

「助かるよ。ありがとう」
「いえ…」

このまったりとした、ありがとう、の言い方が可愛いんだよな…。俺は勝手ににやついてしまう口元を隠しがてら会釈して、ゆるやかに手を振る店長に背を向けて店の傍に止めていた自転車に乗り込む。点々と続く街灯が照らす夜の道をひと漕ぎしてから、自転車をぴたと止めて片足を付く。後ろをそっと振り向くと、地下鉄の駅に向かってゆっくりと歩いていくニスロクさんの大きな背中と店長の小さな背中が見えた。
――やっぱりただの知り合いでも、友達でも、ないよなぁ…。
思わず浮かんでしまう邪な考えをどうにも追い払えない。特になんの会話も交わさず当然のように同じ方角へ向かっていく二人。揃う足並み。店長がニスロクさんに今日の日当を渡しているところは見かけなかった…報酬のやりとりをするような、単純な雇う雇われの関係じゃない、ってことだ。それともどこか場所を変えて謝礼を支払うのか?いずれにせよ、これから二人っきりで時間を過ごすのは既定路線ですって感じで…そんな空気で… いや、絶対なんか有るだろ? あの二人……。

 

◇ ◇

 

「フルフル、起きろ」

フルフルが目を覚ますと自分のマンションのドアの前で、ニスロクの広い背に背負われていた。「鍵を出せ」と言われ鞄のポケットから探って手渡す。開閉するドア。ニスロクが明かりを点けた廊下の先に、夜の闇が溜まっていた。もう夜更けだ。

「あれ…?」
「貴様が地下鉄で眠ってしまい起きなかったので背負ってきた」

記憶を辿れば、店を閉めた後乗り込んだ地下鉄でニスロクと並んで立っていたことまでは覚えている。ほんの数駅のはずだが電車の心地よい揺れに眠気を誘われ、頭をゆらめかせていたところ隣に立っていたニスロクにがしりと腕を掴まれた。倒れこんでしまわないように、という予防線だ。だが頑健な男に腕を支えられたという安心感から、フルフルはむしろ全力で眠りの船を漕いだ。
そして今に至る。

「なぜ立ったまま眠れるのだ貴様は…」

廊下を歩きながら呆れた様子で呟くニスロクは、フルフルが熟睡してしまった後、もしかしたら電車内からこうして背負ってくれていたのかもしれない。いやぁ、すまないねぇ、とフルフルが悪びれず返すと、ため息と共にベッドの上に下ろされた。1DKの奥にあるフルフルの寝床だ。
遠い昔、まだソロモンの軍団の一員であった頃、アジトで寝落ちているとたまにニスロクがこうしてフルフルを部屋へ連れ帰ってくれた。普段はダゴンが回収係で決して他の者には渡さないのだが、彼女が不在のときに。きっと誰かに厨房で送り届けるようせっ突かれたのだろう、当時のニスロクは苛立ちの混じった溜息を吐きながら獲物の肉を運ぶのと同じように肩にかついでフルフルの体を「運搬」したものだが、今こうして背負って運ぶようになったのは彼なりの現代社会への適応かもしれない。

「今日は君のおかげで助かったよ~。ありがとうね」

フルフルはベッドの上で自らの鞄を引き寄せると、売り上げの入った封筒からまとまった額を渡そうとする。だがニスロクは手を伸ばさない。

「貴様から金は取らん。言ったはずだ。そんなことより…」

フルフルは苦笑する。ヴァイガルドの貴族たちが財産を投げ打って求めた彼の料理の腕だ。だからというわけではないが、あの長い行列を捌ききってくれたことには相応の対価を受け取ってほしかった。その方がフルフルにとっても気が楽だし、面倒がない。だが、ニスロクが求めているのは金ではない。

「冷蔵庫に何か食材あったかなあ。見てくれる?」

フルフルの言葉に長身がベッドを離れキッチンの冷蔵庫を開く。――ああうん、そうだ、何も無いんだった…。――目つきを険しくしたニスロクの横顔を見て、フルフルは思い出した。冷蔵庫は昨日から空っぽなのだ。しいていえば冷えた缶ビールが四本入っているだけ。眉間を寄せたニスロクが静かに尋ねる。

「この辺りにまだ開いているスーパーはあるか」
「近くの店は八時でおしまいだからなぁ…ないね」
「………」

絶句したニスロクに、フルフルの口元から自然と笑いが零れる。
遥か昔、バナルマだった彼にその辺の草や肉を適当に投げ入れただけのまだ料理とも呼べないような煮込み料理を食べさせた。どろどろとして味もよく分からないようなものだ。だがなぜかそれが、小さなニスロクにとっては胸を撃ち抜かれるほどの衝撃だったらしい。以来彼はメギド本来の戦いへの執着を捨て、料理への情熱を開花させた。何百年も労を惜しまず研鑽を続ける彼の料理技術はフルフルから見ればとうに自分を超えているように思う。それでも、ニスロクは時折こうしてフルフルの作った料理を食べたがる。今日店を手伝ってくれた礼も、彼が望んだのは金銭ではなくフルフルの作った一食分の食事だった。

「悪かったよ、しばらく外食続きなの忘れてた…泊っていけるなら明日の朝食を作るけど?」
「明日は朝から仕事だ」

現代でも彼はなかなか予約が取れない人気の出張料理人だった。むしろ、SNSなどで情報が拡散されてしまうため忙しさは昔よりも増しているようだった。

「う~ん、そうかぁ…どうしようかなぁ。膝枕でもする?」
「ヒザマクラ?」

たぶん、彼の頭の中では聞きなれない料理の名前として処理されたのだろう。それはどんな食材を使ったものなのだ、と表情で尋ねてくるニスロクに、フルフルはベッドの上で足を折りたたんで座る。ショートパンツの裾から伸びる太ももを晒しながら。

「料理じゃないよ。ここに頭を乗せて寝っ転がること」
「…それは、何のために」
「さぁ~、気持ちいいんじゃないの…私は普通のふかふかした枕のほうが好きだけど、世の中の男の人は喜ぶらしいよ…女の人の太ももを枕にすること」

ニスロクが『世の中の男の人』に該当するかは甚だ怪しいものだったが。現に、そう言われた当人はフルフルの言葉と眼前に揃えられた白い太ももを前に怪訝な顔をしている。

「…食材がないなら私は帰る。邪魔をした」
「おや、そうかい」

ニスロクがあっさりと背を向ける。フルフルも止めはしない。ベッドの上から、じゃあねぇ、と間延びした声で彼を見送る。ニスロクの性格上予想がついていたことであるし、引き留めてまでしてやりたいという気持ちもフルフルにはなかった。
――なんだかタダ働きさせちゃったことになって悪いなぁ…今度会った時ご飯作ってあげよ、覚えてたら…。――そう思いながら眠い目をこすり、訪れた眠気にそのままベッドに後頭部を沈めた。

「…おい、フルフル」

目を開けると、電灯を背負ってニスロクが自分を見下ろしていた。帰ったと思ったのに戻ってきたらしい。

「んー…どうしたの」
「私が部屋を出たらすぐ鍵を閉めろ。深夜だぞ」

自分がドアを出た後も一向に施錠の音が聞こえないことに不安を覚え戻ってきたらしい。確かに、今のフルフルに出せるのは雷ではなく静電気くらいのものだが。ソロモンがいないことに加え、年月を経て力が弱まった。

「あぁ、すっかり忘れてたよ…ふあ」

フルフルがあくびを一つしてねむい眼のままぼんやりと返すと、呆れの色を浮かべていたニスロクの表情が陰る。

「…昔より深い眠りに落ちるまでが早くなったな」
「そう?そういえばそうかもねぇ…」
「ヒザマクラ」
「うん?」
「してもらおう」

ニスロクの言葉にフルフルは青い瞳を丸くする。してもらおう、とは王族のように尊大に聞こえる響きだが、膝枕のおねだりに他ならない。――急な心変わり、どうしたの?――そう思いはしたが、表情筋をぴくりとも動かさないニスロクはもう必要なことは伝えたのだからさっさとしろという顔でこちらを見下ろしている。「いいよ」と応じ起き上がって膝を折って座ると、ニスロクがベッドの上に乗り上げた。眉間に刻まれたシワには言葉に反し、一体なんなのだこの行為は…、という戸惑いが現れている。

「ここに頭乗せて、足は適当に伸ばして」

膝枕初心者に、子供でも分かるような易しさで説明する。ニスロクは大人しくフルフルの太ももの上に頭を横たえた。

「…これでいいのか」
「うん」
「………」

自分で『してほしい』と言った癖にニスロクの表情は硬直したままだ。言われた通り頭を乗せたが、どうすればいいか分からない。何を楽しめばいいのか分からない。所在が、ない。そんな表情をフルフルがじっと見下ろしていると、視線から逃れるように切れ長の目が閉じられた。眉間のシワがつくる表情はまるで何か深刻な問題について沈思黙考しているように見える。フルフルは片方の手のひらで包むようにニスロクの側頭部をそっと撫でた。さらさら、さらり。指通りのいい髪だ。

「このまま寝てもいいよぉ~?」
「……眠くはない」

答えたニスロクの声色は先ほどより少し柔らいでいた。いつも気を張っている彼がわずかでもくつろいでいるのであればフルフルもほっとする。

「よかった、君をタダ働きさせて帰したんじゃ私も夢見が悪いからね~。まぁ君は食事の方が嬉しいかもしれないけど」
「……貴様の料理は私にとっての還る場所だからな」
「還る場所?」
「生きる者は…心の拠り所、魂の置き場所にするものがあるだろう。親しい人であったり、故郷であったり…私にとっては貴様の料理がそれなのだ」
「ふーん…」

ニスロクがフルフルの料理についての自分の心情をつまびらかに語るのは初めてだった。料理については饒舌だが、自分の深層についてはあまり語る方ではない。そんなことを喋ることに興味がない、と言った方がいいかもしれない。今日は何か心境の変化かな、とフルフルは思った。
超一流の料理人になり、誰もが唸る絶品料理を自らの腕で作ることも、金で買うことも簡単にできるはずの彼が、それらと一線を引き遥か昔に食べたフルフルの料理を未だに特別なものに位置付けている。フルフルは少しくすぐったい。メギドは戦うことが生きがいであるはずなのに、温かな煮込み料理ひとつで幼少期の彼の魂が向かう先を変えてしまった。罪悪感、気まずさ。ニスロクが自分の料理を彼の濁りのない心の拠り所にしている、というのは…気ままなフルフルが受け止めるにはすこし重たい。

――でも、もし私がいなくなったら…私の料理がなくなったら、君は魂を休めるところを無くしちゃうのか――。

一か所にとどまらず、研鑽のため常に新しい食材と客を求めて動き回る彼が、疲れた羽を休める場所が失われる。それは少しかわいそうだ…と、フルフルは思った。同情心なのか、あるいは彼の魂の向かう先を変えてしまった罪悪感ゆえなのか、自分にも分らなかったが。分からないまま、黒い髪をさらりと撫でた。

リィ…。背後の、少し開けた窓から網戸越しに涼やかな虫の声が聞こえた。日中は残暑の暑さがしつこく肌を熱するが、この数日夜になれば心地よい風が吹くようになった。さわさわと流れ込んだ夜風がフルフルのうなじを撫で、黙って目を閉じているニスロクの髪も微かに揺らす。風に揺り起こされたように草陰の虫達が一匹、また一匹と羽を擦り合わせて音を響かせる。短い命の火を燃やし、つがう相手を探し求めて。彼らの声色は生を謳歌するものであるのに、どうしてか切なく耳に響く。かぼそく高い音が刹那を唄い、ふと鎮まり、また唄う。あと一か月もすればこの虫達の声はすべて消えてしまうだろう。

「ねぇニスロク」
「なんだ…」
「しない?」

主語を省くのはニスロクもそれを知っているから。二人で経験したことが幾度もあるからだ。問われた男は微動だにせず、言葉を発しない。問い返さないのだから意図は正しく伝わっているのだろう。

フルフルの手がニスロクの髪から頬に滑り、輪郭をなぞって顎先の髭を撫でる。さわりと指先をくすぐる感触が心地良い。のんびりと髭をもてあそんでいると、ニスロクの手がそれを遮った。

「…貴様にそのようなことを求めるために今日店を手伝ったわけではない」

フルフルの細い手首を掴んだニスロクの手が、そっと自分の顔から離す。

「それはそうだろうねぇ…分かってるよ」
「では何だ…」
「ん~~~理由ねぇ…今までも理由、あったっけ?」

ニスロクは黙り込んだ。琥珀色の目に悔恨がちらと映る。ニスロクは行為の度、難色を示していた。

「そうねぇ~理由かぁ…いきものの自然な欲求、かなぁ」

もうすぐ死にそうな鈴虫が鳴いているから、と言ったら君は変な顔をするだろうし…――そう思いながらフルフルは答えた。

お互いがメギドであるという秘密を共有した者同士。旧知の仲。体の小さなフルフルに対しニスロクは大きいが、二人の性器はいやによく馴染むこと。何度か男女として肌を重ねた理由にどれも少しずつ該当するが、これがあったからだと断言できるほどの強い理由はない。たぶん、たまたま隣にいるから。でも、誰でもいいと思っているわけではない。

ニスロクはフルフルの太ももの上からむくりと起き上がる。

「…。…避妊具の準備はあるのか」
「あ~…無いねぇ」
「貴様…ならばむやみに人にそのような誘いをするな。相手が良心のある人間とは限らんぞ」
「君しか誘わないから大丈夫」

ニスロクは背を向けたまま暫し押し黙った。それから、ばつが悪そうに「…一枚だけある」とぽつりと呟いた。フルフルの口元にじわりと笑みが湧く。

「ありがと。助かるよ、準備がいいねぇ」
「…貴様が信用ならんので、念のためだ」

少し、こちらを振り向かないニスロクの前に回り込んで顔を覗き込んでみたい悪戯心に駆られた。が、起こるかどうか分からない物事のためにニスロクが配慮をその身に忍ばせてくれていたことにフルフルは素直に感謝し、やめておいた。

「…シャワーを借りても構わんか」
「どーぞ」
「貴様も使うなら先に行け」
「んんー…面倒だし一緒に入る?」

目を見開いたニスロクが久方ぶりに振り向いた。

 

◇ ◇

 

「綺麗な髪だねぇ…」

浴室で、解いたニスロクの髪を指で梳きながらフルフルは呟く。彼の髪は昔に比べ短いが、それでも肩甲骨が隠れるほどある。少しものぐさな自分にはこの長さの髪を綺麗に保つ手入れをすることは無理だろう、とフルフルは思う。

「昔よりは手入れがしやすい。短くしたのもあるが、巷に髪の質を良く保つための様々な商品がある」
「へぇ~いろいろ買ってるんだ…」
「買うこともあるが…客がくれることも多いな。新しいものを試すのに丁度いいので胡乱な目的がない者からは受け取っている」

ニスロクの客は富裕層ばかりなので高価な物をもらうのだろう。――男相手に高級なヘアケア製品を贈る者に『胡乱な目的がない者』がいるかどうかねぇ…――フルフルはそう思いながらも、彼の問題であるし、それほど関心がある話題でもない。何より望まぬことは退けられる力のある男なので、何も言わずにおいた。シャワーで髪の房を濡らすと漆黒は重く艶めく。フルフルはシャンプーを泡立て少しずつ馴染ませていった。

「毎日これやってるの大変だねぇ…よく出来るよ」

シャンプー2プッシュを泡立て適当に洗えばさっと終わる自分の髪と比べ、フルフルはため息をつく。店を手伝ってもらったお礼に膝枕をする、の延長線上で、二人で浴室に入った後「髪洗ってあげるよ」と申し出た。だが実際にやってみると正直、かなり面倒くさい。
ようやくシャンプーの泡を流し、苦労してトリートメントを全体になじませて流し終え、フルフルはもう一度大きなため息をついた。

「はぁ~おわった…」
「すまんな。貴様の髪を洗おう」

ニスロクはプラスチックの椅子から立ち上がると、自らの髪を手の中で手早くまとめ水気を絞りながら言った。二人の身長差は三十センチほどあるため、ニスロクはフルフルが立ったままでも楽に洗える。泡を乗せた大きな手のひらがフルフルの小さく丸い頭を包み、ライトブルーの髪に丁寧になじませていく。骨の太いしっかりとした男の指が程よい力加減で自分の髪を洗っていくのを感じると、とろりと睡魔が訪れる。

「おい…すぐ済ませるから寝るな」

見越したようにかけられる声、髪に当てられる水流が少し緩められたシャワー。立ったままうつらうつらと船を漕ぎ始めたフルフルの背に、くしゃりと何かが当たった。

「体を洗うのはこれでいいのか?」

ニスロクが浴室の壁にかけてあったボディ用スポンジにボディソープを泡立て、フルフルの背中を洗い始めていた。フルフルはこれ幸いと身を任せることにする。

「そ。この間お誕生日祝いにダゴンがくれたんだよねぇ」

ドーナッツを食べるかわいい子豚の顔が片面に描かれた柔らかなボディスポンジと、その他浴室グッズ色々のセット。ダゴンは大食いの美食研究家としてよくテレビに出ており、食にこだわる彼女のはっきりした物言いと憎めないキャラクターがお茶の間で人気だ。頻繁にフルフルの家に遊びに来ている。――今度これで先生の背中流してあげるね!って言ってたなぁそういえば…。――彼女の笑顔を思い返しているうちに、泡だったスポンジが小さな胸を一周し、白い腹部を撫で、太ももから足首にするすると滑り落ち、丁寧につま先まで洗っていく。スポンジを持つニスロクを振り返ると、言葉通り『手早く済ませる』ことに没頭しているらしく眼差しは何の色も浮かべていない。ニスロクの中では芋を洗うのを一緒なのだろう。芋は、つまり食材はニスロクにとって最も大事なものなので、比べていいかは分からないが。フルフルは微かに鼻息で笑う。

「ありがと。お礼に私が君を洗おう」

シャワーで全身の泡を洗い流されたフルフルは受け取ったスポンジに再度ボディソープを足し、にぎにぎと泡立ててみせる。だがニスロクは首を振った。

「結構だ。…それに私がそのスポンジで洗われるとダゴンに恨まれそうなのでな」
「ふぅん?じゃあこうしようか」

フルフルはスポンジの泡を手のひらに移し、ニスロクの腰をするりと撫でた。微動だにしなかった大きな男が「ッ、」と息を詰める。フルフルの手は泡を塗り込めるように小さな輪を描きながらニスロクの脇腹を這い上がる。引き締まった胴と薄く硬い筋肉が作るぼこぼことした凹凸、厚みのある胸へぬるりと手が滑りあがる。ニスロクの顔は微かに血の気を増した。

「待て。自分の体は自分で洗、」
「遠慮しない~」

んふふと笑いながら手のひらに泡を足し、太い首へ滑らせる。ぴく、とニスロクが小さく体を揺らした。彼は首が弱い。何度か肌を重ねてそれを知っているフルフルは浮き上がった首の筋をなぞり上げ、ごつごつとした喉仏を指先でぬるりと撫でまわした。はっ…と男が息を漏らす。ニスロクの上半身に泡を塗り広げると、もう頭をもたげている陰茎に触れた。ニスロクの体が硬直する。重たく垂れ下がった陰嚢を手のひらで包み、竿の根本、先端へと愛撫する。撫でるような優しいタッチだが、ニスロクの陰茎は硬く張りつめ、滾らせた熱が泡を隔てて伝わってきた。

「ここも綺麗に洗おーね…」
「っ、ぁ」

まるい先端を指先で撫でまわし、敏感なそこの感度を引き出す。細い割れ目を爪先でなぞって尿道口の小さな溝をくりくりと嬲る。と、ニスロクが自分の体の真横の壁に片腕を付いた。堪えられない、と反応が言っている。フルフルは竿を泡で包み、ゆっくりと上下に擦りながら繰り返し愛撫する。緩慢な速度が耐えがたいのか、荒立った吐息が聞こえてくる。ニスロクの体躯に合った太く長いそれは凶悪と形容していいほどなのに、白い泡に包まれ濃ピンクの亀頭だけを覗かせている様はどこか間抜けで可愛らしい。――そういえば明るい場所で見るの初めてだっけ――。そう思いじっと視線を注いでいると、フルフルの首に手が置かれ、親指で顎がぐいと持ち上げられる。

「んむ、っ」

かじられた。
フルフルは咄嗟にそう思った。獣が噛みつくような接吻だ。それも大きな肉食獣が小さな草食獣を仕留めるための、暴力的な。舌を絡めとられ吸い上げられ呼吸が止まり、口蓋をぞろりと舐められ力が抜ける。「ん、ん、ふ」鼻から漏れる吐息。腹部に勃ち上がったニスロクの亀頭がぶつかり、薄い皮膚に熱がじんと伝わる。口咬みをやめないまま、ニスロクの指がフルフルの秘唇に触れる。そこが蜜を滴り始めたことを確認した指はぬる…と割れ目の上を往復し、そのままそっと中に潜り込む。

「ん、んっ……っ」

咬み合った口の中では舌の根を吸われ愛撫されながら、指でじっとりと熱を持った恥肉をまさぐられる。下腹部が熱を持ち、二本に増えたニスロクの指でいやらしくとろけていく。久しぶりであるのにフルフルがよく感じる箇所をぴたりと探り当て、柔肉を弄る指先。身長差で覆いかぶさるように口づけられたまま、指で秘唇の中を愛撫されると何もできなくなる。

「ん、ん……ぷぁ、……」

フルフルが膝の力を失い倒れ込む直前になってようやく、ニスロクが唇を離し秘所に埋めた指を止めた。途切れた唾液の糸が半開きになったままのフルフルの唇にたれ落ちる。濡れた赤い唇のニスロクは、陶然としたフルフルの顔をしばらく見つめてから、ぴたりと動きを止めた。雄々しい眉間に深い皺が刻まれる。少し我に返り、性欲求に支配され衝動的になったことへの後悔が浮かんだのだろう。フルフルは薄く桃色に染まった頬で小さくほほえむ。

「君は真面目だねぇ…」
「貴様を抱く理由が私にはない」
「こんなことより料理してたい?」
「あぁ…」

フルフルはタイルに立ったまま片足を上げ、血管を浮き立たせ勃ち上がっているニスロクの陰茎に秘唇をくちゅりとこすりつける。すべてを洗い流そうとシャワーに伸びかけていたニスロクの手を捕まえ、自分のちいさく白い尻に導く。片足だけで体重を支えた状態からあえてふわりと後ろに倒れるそぶりを見せると、茫然としていたニスロクの片手が咄嗟にフルフルの尻を支え、もう片方の手も背に回って倒れ込まないよう体重を支えた。弾みで、ニスロクの陰茎の赤らんだ肉冠の端がちゅぷ、とぬかるんだ秘唇に埋まる。ニスロクが石化の呪いをかけられたように瞬時に身を固くしたのが分かったが、気にせずその首に手をかけ腕を回し、体を密着させる。「ふ、ぁ…っ」愛撫で十分に蕩けたそこは自重でずぶずぶと長く太い性器を飲み込んでいく。厚く張り出したカリを過ぎればあとはスムーズで、肉壺は根元を少し残しずっぷりとニスロクのペニスを収めてしまった。

「……ぁ、…おおきい…」
「ッ、フルフル…」

密着した下半身があつい。内臓を押し上げる重い圧迫感に喘ぎ、フルフルは熱いまぶたをとろりと瞬かせた。胎内に収まる膨張した肉竿がぬかるんだ粘膜に吸い付かれ、脈打っている気配がした。

「はぁ…ん…こういうコトって、さ…このくらい勢いでやっちゃっていいんだって」
「ッいいわけ、あるか…。あれは部屋に置いたままなのだぞ…」
「あ~…今日は大丈夫な日だから…」
「馬鹿を言えッ…そんな日は、無い……」

ニスロクは眉をきつく寄せると諦めたのかフルフルの口を吸った。ぢゅるりと酸素と唾液をいっぺんに吸われ、眩暈がする。止まったままじわじわと熱だけを滾らせる結合部。絡める舌が先ほどより甘く感じられ、脳の奥がじーんと痺れた。「ふぁ…、」口づけが浅くなった瞬間端から零れた唾液をニスロクの舌がすくいあげ、もう一度薄いフルフルの唇を食む。どくどくと脈打つ肉茎を咥えこんだまま刺激を待ちかねた秘裂は熱に膿んで溶けていきそうだった。ハァ…、と耳元でニスロクが色めいた息を吐く。フルフルも声を漏らした。先端にゆっくりと、子宮を押し上げられる。ピストンが徐々にはやくなる。

「ぁ♡、ぁ、ふ、…ん…ぁ♡」
「ッ…」

琥珀色の瞳にゆらりと熱情の膜を張りながら、それでもニスロクはまだ抗っていた。ヴィータ体の雄の欲求が下半身から這い上がり思考を支配する。
――私にヴィータのような感情は、ない――
――コイツのことは時折生きているか確認できればそれでいい。恩人だ。死に際に私の料理も食わず勝手に死なれては困る――
――それと、たまにコイツの作った料理が食いたい。ただそれだけだ…――
――だというのに、ヴィータ体のこの生理欲求は忌々しい。それ以上に、いま胸の奥に得体のしれない高揚感がある、これも…――
胸中に反し、秘唇に潜りこんだ肉茎は充血して硬く反りあがり、溜め込んだ熱いほとばしりを吐き出したくて疼いている。
葛藤に眉間を寄せるニスロクに、頬を染め蕩けた顔をしたフルフルが小さな口を開いて舌を覗かせた。頬はまるく幼く見えるのに、濡れた青い瞳は途方もなく淫靡だ。心臓に欲望の焼き印を押されたようで、耐えきれず薄い唇にかぶりつく。初めて口づけを覚えた子供のように貪ってしまう。フルフルはとろりとした眼差しのまま、ニスロクの厚い舌を従順に受け入れるとゆったりと絡めてくる。唾液の絡んだ舌の甘さ。ふ、と漏れた互いの吐息さえ甘く感じる。堪らず、フルフルの歯列をなぞって口腔を侵す。
遥か昔、温かい煮込みの入った小さな器を差し出してくれた手。そのぬくもりの手触りを覚えてしまった。覚えれば、からだが勝手に反応する。繋ぎ留めたくなる。

「ん、ん、…ふ……ぁ…♡ぁ、…ッ」

首後ろに回るフルフルの腕にぎゅっと力がこもる。絶頂が近いことを訴えるサイン。ニスロクは熱の籠った息を吐くと、内側のよわい箇所を狙って陰茎で擦り上げる。ぢゅり、とカリがそこを擦るたびにフルフルが白い体を震わせ、甘く喘いだ。はくりと開いた口の端から零れた透明な雫を吸いあげ、もう二度、三度。淫蕩にとろけてなみだの膜を張る青い瞳がくっと細められる。自分よりもはるかに長く生きているのにヴィータ体はどうにも幼く頼りない。絶頂直前で高まった白く柔らかな体は宙に浮いた足先を震わせ、指を丸めた。

「う、ぁ♡ん…あっ、…イっちゃ…ぁ、あっ…っ♡」

ライトブルーの髪が目の前で揺れる。絶頂を迎えた熱い肉壁に吸い付かれ、ニスロクは眉を寄せて目を閉じた。脳裏に微かに残った理性がとろけ、さらわれていく。――出したい。あたたかなフルフルの中にこのまま射精してしまいたい――…陰嚢がキュウ、と引き締まってせり上がり、精液が勢いよくほとばしる快感を予感して途方もなく焦燥する。脳裏を駆け巡った狂おしい欲求にニスロクは嘆息し、そして猛ったままの自身をフルフルの中からずるりと抜き去った。ドクドクと心臓が音を立てていた。体の奥底の熱が噴出したように汗が額を覆う。荒い呼吸を抑え、必死で自身を鎮める。

「………そんなにひとりで我慢しなくても…」

絶頂の快感に捩れいつも以上にふわふわとしたあやふやなフルフルの声。間近で聞こえたそれはゆっくりと鼓膜を叩き、いやに蠱惑的に響いた。ニスロクはもう一度深く呼吸をすると、彼女の言葉には答えず力が入らない様子の肢体が落ちないように尻を抱えなおしてやる。

「…もう自分で立てるか」
「ううん~…もうちょっと…」

まだ足に力が入らない、というフルフルにニスロクは仕方なく彼女を抱き上げたまま佇む。フルフルの体は小さく軽く、長く抱え上げていることに苦痛はない。ただ、だらりとした彼女の白い腕が首後ろに回り、まだ鼓動が鎮まらない胸にうすく柔らかな胸をひたりと預けられていることも、陰茎を膣の外に抜き去ったものの互いの下半身がまだ密着した状態であることも、ニスロクの男の性を酷に炙った。
はぁ、とフルフルが甘怠い溜息を吐いてニスロクの肩に顎を乗せる。濡れた青い髪がひたりと首筋に密着した。湿った髪の温度は確かに冷たいのに、どうしようもなく、あつい。脈動が鎮まらない首筋から血がぐらぐらと巡っていく。

「すごいなぁ……ドクドクいってる……」

フルフルの女性にしては少し低い声がゆったりと耳元で響く。心臓の鼓動についてではない。膣を逃れ、白くまるい尻の谷間にとりあえず落ち着かせた陰茎についてだ。間際に迫った射精を遮られ、ピンク色の粘膜による快楽の回廊を奪われたそれは、いまだ欲求を硬く滾らせている。あと少しの待ち望んだ刺激が与えられないことに先端からは先走りが涙のようにつうと一筋零れ、脈立った竿をゆっくりと下っていた。

「かわいそうだよ…君の。こんなにして、出せないで」
「気にするな。体の部位に意思などない」
「そういう意味じゃなくてさぁ」

ヴィータ体など魂の力で抑制できる。そうでなくてはならない、ニスロクはそういうつもりで答えた。フルフルはため息を吐く。

「そんな我慢しなくていいよ」
「何…」
「うん…もう大丈夫そうだ。下ろしてくれる?」

フルフルをそっと下ろすと白い足のつま先が揃って静かに濡れたタイルを踏みしめる。彼女は曇りガラスのドアを向くと、それを開けて出ていくのではなくその場で中腰になった。ニスロクに向け、柔らかな双丘が晒される。「はい、どーぞ…」気怠さを含んだ声でそう言うと、彼女は手を伸ばし自らピンク色の肉びらを開いた。ニスロクはぴくりとも動かない。動けずにいた。

「コンドームがないこと?それはねぇ…大した問題じゃないよニスロク」
「馬鹿を言え。貴様はヴィータ体について正しく理解しているのか…」
「知ってるつもりだよ。まぁ今日妊娠する可能性はすご~く低いと思うけど、もししたら二人で育てればいいんじゃない?その子が大人になるまで私の寿命が持つかは分からないけど」
「何を…」

察してはいたが、フルフル本人の口から聞くと思考がまとまらなくなる。自分で自覚する以上にニスロクは混乱し、茫然としていた。その耳を、「おいで」という気怠げで柔らかな声がさらった。ゆらゆらと内海の波のように穏やかに響き、幼いころニスロクの鼓動に染み込んだ音色。
それでも足は動かない。
「君のはココに入りたいはずだ…」
彼女の指先がちいさく開いた粘膜の上をなぞる。ぬるぬる。ぬらぬら。艶を帯びたピンク色のやわくとろけきったそこ。温かで淫らな抱擁を誘う指。
「…おいでよ」
浴室灯の淡い暖色の光が混ざった青い瞳はちろりとニスロクの顔を振り返る。

「あ」

薄く上気した頬、血が巡り潤沢に色艶を増した唇が、ふたたび押し入ったぺニスに震える。

「ひ♡、ぁ、ぁ、あ、ぁ」

奥を穿たれフルフルの唇から嬌声が溢れる。はぁ、は、とニスロクも細切れの熱いため息を漏らした。ぬるぬる、とろとろとしたピンク色の肉の洞。奥を突くと柔らかな粘膜がカリ首に絡みつきニスロクも快感に腰が砕けそうになる。

「ッ…!」
「ぁっ、うあ♡っ…ぁ、あ、…ぅあ、あ♡」

曇りガラスに手をつき、フルフルは伸びをする猫のように小さな尻を高く上げていた。身長の大きな差が二人の行為をどこか不格好にさせる。ニスロクは彼女が倒れ込まないようか細い腰を両手でしっかり支え、欲求を擦り付けた。眉を寄せる額から汗が噴き出す。ぷちゅ、と結合部で弾ける愛液の音。濃ピンク色の肉びらからぬるりと抜け、また潜り込む肉竿。初めて体験するなんの隔てもない生のフルフルの胎内の感触に、言い知れないものがこみ上げる。

「…フルフルッ、」
「ぁ…ニスろ、ぅあ、あ……ゃあ、ぁー♡…ひ、あっ」

どぷと膣の奥で溢れた熱い迸りにフルフルが甘く鳴く。高く突き出した小さな尻を震わせながら彼女も達していた。ニスロクははあはあと数度の呼吸で荒い息を整えると、萎えた陰茎をフルフルの中から引き抜いた。痙攣するほっそりとした太ももに透明な愛液がゆっくりと滑り落ち、続いてクリーム色の精液がひどくのろのろと肌を伝う。ニスロクは足元がふらつくフルフルの上半身を片腕で抱き上げながら、シャワーのコックをひねって行為の残滓を手早く洗い流した。指を優しく突き入れて胎内に残った精を掻き出すことまで、一瞬で。一通りの動作を終えると、シャワーヘッドを壁にかける。みだらなピンク色の空気に満ちていた浴室が、白いタイルの静寂に戻る。

「………すまん」

悔恨がにじむ低い声が落ちてきたので、フルフルは緩く笑った。

 

 

ど~ぞ、と差し出された500ミリリットルの冷えた缶ビールをニスロクは意外にも素直に受け取った。

(めずらしいなぁ…)

ベッドに腰かけプルタブを開ける自分の隣に座り、同じようにアルミ缶に口をつけるニスロクを見ながらフルフルは思う。肌を合わせた後に彼がゆっくりとこの場に留まっているのははじめてかもしれない。――「生で」「出してしまった」気まずさがある?そんな人間らしい部分が。いや、本人がそれに気づいているかは別として、ニスロクは人間らしい男だった。傍若無人なように見えて人の心をよく理解しているのは、彼が血の通った情緒と繊細さを持つためだ。温かい原初の煮込み料理が純正メギドである彼を人らしさに導いたのではなく、血の通う心があったから彼は小さな手を器に伸ばしたのだ。
横目でちらと見るニスロクは冷えた缶ビールを静かに煽っていた。うまい、などとは思っていない、舌を陽気に洗う炭酸に微塵も感動のない顔つき。彼は料理と共にするための酒は嫌いではなかったが、ただ無為に酒だけを飲むのは好まないのだ。

「すまなかったねぇ」
「なぜ貴様が謝る」
「いやぁ、したくないことさせちゃったかなぁと」
「違う。貴様を抱いたのは私の意思だ」

私が私以外の者に支配されてたまるか、と暗に言いたいのだろう。

「…だが、自分でも理解しがたい精神の動きがある。それが何か分からんまま貴様を抱いた。…さっき浴室で謝ったのはそのためだ」

ニスロクらしい自己完結に、フルフルは小さく笑い目元をとろりと細める。
ニスロクにとって己の胸を満たすものは料理への欲求だけでいいのだ。遥か昔に荒野でフルフルと出会い、幼い彼が小さな手に握りしめた憧憬を、数百年経った今も離さないままだったとしても。憧憬は心の中にあればそれで良く、搔き抱くものではない、とニスロクは思っているのだろう。純粋で高潔なたましいで。

――私がそれを物寂しく感じるようになったのは、長く生き過ぎたからかなぁ…。――

ぼんやりと心の中で思っただけのつもりが、断片が「生き過ぎたなぁ…」と酔いの回った口から出ていた。虫達も寝静まったのか涼やかな鳴き声が聞こえなくなった深夜の静寂に、その独り言はいやに響いた。ニスロクがじっとこちらを見つめた気配がしたが、フルフルは手の中の缶を煽った。どうでもよい独り言は炭酸の効いた酒で流すに限る、と。そう思っていたが、缶は横から伸びてきた手に奪われてしまう。

「空きっ腹にあまり酒を入れるな。毒だ」

フルフルから取り上げた缶ビールを相変わらずうまいともなんとも思っていない顔で飲み干すと、ニスロクはすでに飲み終えた自分の缶と一緒に潰し、立ち上がって台所にかけてある缶入れのごみ袋の中に落とした。フルフルはふ、と笑った。自分が最近捨てた缶は腹を斜に歪めている程度でほとんど形を残したままなのに、ニスロクの潰した缶がプレス機でそうしたようにぺしゃんこなことに。平らな缶が袋の中でぶつかり合い、カン、と軽い愉快な音を立てたことに。それからニスロクの言葉にも。長命者の自分がいずれ死ぬことがあってもそれは肝臓を病んだからではなく、魂の期限を迎えたからに過ぎないのに。

缶を捨て終えたニスロクは帰り支度をする。

「体調に変化があったらすぐに知らせろ」
「んん?そんなにすぐに死なないよ~。大丈夫」
「そうではない」
「ん?…うわ」

ニスロクの手が伸び、フルフルの下腹部に触れる。子宮の真上に来る位置だ。

「食材として検分されているような気分だよ、その触り方…」
「私のヴィータ体は普通のヴィータと全く差分なく精密に作ってある。生殖能力もだ。貴様は甘く考えているのだろうが…」
「別に甘く考えてないって。さっき言ったとおりだよ」
「……」

ニスロクは言葉が見当たらないのか、これ以上何か言う気が失せたのか。いずれにしても凍り付いた真顔が面白い。ニスロクは口元をふにゃりと緩ませるフルフルに構わず、「…変調があれば必ず知らせろ。ではな」と言ってもう振り返らず玄関へ音を立てず足早に向かう。

…ああ、そうだ鍵を閉めないとまた彼は戻ってきてしまう、とフルフルは気怠い腰をベッドから持ち上げ大きな背を追った。

「もう終電ないよ」
「いらん。歩いて帰る」

眠らない彼は途方もない距離を本当に歩いて帰るのだろう。フルフルはやはり少しおかしくなってふふと笑った。