ルキフゲスとニスロクの話

mgd非CP

 
 
 
 
 
 

「貴様、捌かれたいか?」

 厨房から聞こえてきた低い声に、ソロモンは階段を駆け下りた。ケンカだ、という仲間の知らせに夕食を早々に切り上げ現場にやってきたのだ。
 厨房の流しの前に長身の男が2人──ニスロクとルキフゲスだ。2人ともソロモンが来たことに気付いたようだが、ニスロクは鋭い眼光をルキフゲスから動かさない。一方でルキフゲスはソロモンに目配せするようにゆったりを笑い、視線を前に戻した。
「ニスロク君、と言ったか。君の気分を害するつもりはない。私は素晴らしいお宝に目がないのだよ」
 ルキフゲスの指が流しのまな板の上にぽつりと置いてあるオレンジ色の何かを指差す。…人参の切れ端だ。ソロモンは今日の夕食でジズが『スープに人参のウサギさんが入ってる!』と喜んでいたのを思い出す。人参が苦手な子どもメギド達のための、ニスロクのはからい。だが、ルキフゲスが熱心に見つめる一枚の切れ端はウサギ型に見えず、どうも不格好だ。
「研鑽を積んだ君が乱れなき技術でいくつもの愛らしいウサギを作った末にたった一つ生み出した、この片耳の落ちたウサギ。…例えるならそうだな、春のあたたかな草原に飛び込み洗い立ての白いシャツを土で汚してしまった時のような、ほろ苦い喜びを感じる一品だ」
 だから譲って欲しい、私の今の全財産と交換でどうか、とルキフゲスが熱っぽく語る。その一切を硬質な表情で跳ね返すニスロクは、少し不愉快そうに鼻を鳴らす。
「私は料理人の矜持として失敗した料理を客に出すことはせん。食材であっても同様だ。金もいらん」
 (あぁ、やっぱりだめだよな…)と小さく落胆してから、ソロモンは自分がいつの間にかルキフゲス側に立って話を聞いていたことに気付く。『料理人の矜持』を持ち出したニスロクが意思を曲げることは絶対にない。
 だが、ルキフゲスはめげなかった。
「ふむ…では食材でどうだ?君の望む食材なんでもいい、それと交換しよう」
「なんでも、だと」
「あぁ、それも上質なものだ。我が友人達に食材の目利きに優れた者が何人かいるのだ。彼らが力を貸してくれるだろう。素晴らしい蒐集物には相応の対価を支払いたい…君が望む食材、このヴァイガルドに存在する何でもを好きな量だけ仕入れよう」
「…『何でも』を『好きな量だけ』」
 あのニスロクがぐらぐらと揺らいでいることにソロモンは驚く。蒐集家は相手の欲しいものもよく分かっているのだろう。黙っていたニスロクが眼光を緩めず口を開く。
「…ルキフゲス、と言ったか。食材は眺めるものではない。食うものだ」
「ほう…」
「つまり、だ。この人参、貴様が『食う』のならば譲ってやる」

  ◇

 皿の上の宝石。ソロモンでも思わずそんなたとえが出てしまうほど、美しいテリーヌだった。台形の柔らかなゼラチン質は艶やかに澄んでおり、外縁に赤、白、金、緑の具材が散りばめられ、中心にあの耳のかけた人参が浮かんでいる。
「これは…」
「人参を鑑賞しやすいようゼラチン液は貝出汁の澄んだブイヨンを使った。外縁にはフォレストベリー、深海牡蠣の身、黄金豆、ぷるぷる豆を刻んだものを彩りよく並べている」
 ルキフゲスは感嘆の溜息をつき、目の前のテリーヌをうっとりと眺めた。
「欠けたボタンを集めた瓶を振って眺めた時と同じように美しい…。そして年若い青年が初めて賑やかな大人の酒盛りに招かれた時のような、飛び込みたいような、怖いような気持ちを今私は抱えているよ」
 ルキフゲスはしばらく眺めていたが、やがて決心したようにナイフとフォークに手をかけ、テリーヌを口に入れた。褐色の喉が澄んだ宝石をこくりと飲み込む。
「あぁ…私は料理の味がよく分からないが、これは…決して手が届かないはずの星がいくつも胸に落ちてきたような喜び…そして食事の後に拾うのが面倒なこまごまとしたパンくずを窓から吹き込んだ風が全てさらっていったような…そんな解放感さえ感じるよ」
 ソロモンがニスロクの横顔を見ると、凜々しい眉を寄せた彼は今にも「喋らず食え」と言い出しそうだった。あれはルキフゲスなりの感謝の気持ちだと思うよニスロク、と小声で伝えると、硬質な表情に苛立ちを沈ませ彼は一旦黙った。冷めるものではないので許したのだ。
「だが寂しいね…できれば永遠に眺めていたい蒐集物を食べてしまう、というのは。寂しいが、満たされる…実に不思議なものだな」
 得意の長い比喩表現は出ない。空いた皿を見下ろしたまま、ルキフゲスはナイフとフォークを静かに置いた。伏せた眼差しは遠い何かを思い出すようで、様相の変化にソロモンは戸惑う。が、彼は顔をあげ「珈琲を貰えないだろうか」と穏やかに尋ねた。
「承知した」
「あ、ニスロク。珈琲は俺がいれるよ。ルキフゲスとその…そうだな、喋っててくれるか?」
「何?」
 ニスロクは妙な顔をしたが、制止させる間もなくソロモンは厨房へ向かってその場を離れた。何となく、あのこだわりの強い少し変わった2人が打ち解けるといいな、と思ったのだ。

  ◇

 残された蒐集家は料理人に礼を言った。
「ありがとう。君のおかげで私はある友人との思い出のひとときを反芻しているよ。まるで手の中でつぶさに眺める蒐集物のように鮮明だ…。…森で姿の分からない美しい鳥のさえずりに耳を澄ませている時のような不確かさと喜ばしさ…言い換えれば、袖口について消えない珈琲の香りを、鼻を押し当て肺一杯に吸い込んだ時のような甘く、苦しい気持ちを今、感じているよ」
 ニスロクはルキフゲスの長い長い比喩表現を遮ることもせず、表情を動かすこともなかった。だが、幾分か和らいだ声で言った。
「貴様が貴様なりに料理を味わうことが出来たのならば…何よりだ」
 
 
 
 
 
 

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