※マイクがSッ気あり
白いやわらかな毛に包まれた、丸い顔の猫のぬいぐるみ。
寝室の棚の上からつぶらな瞳で自分を見つめてくるその見慣れぬ物体に、マイクは片眉を吊り上げた。むすっとした表情と眼差しはサングラスの下で隠れてしまう。
マイクよりも先にこの共同の住まいに帰宅した男は、くたびれた部屋着でテレビを観ながらくつろいでいた。
「ヘーイ相澤クン。誰からのプレゼント? これ」
「わからん。差出人の名前は書いてなかった」
なんでもないような答えぶり。本当に、相澤にとってはなんでもないことなのだろう。
マイクはいら立ちをこめて足早に相澤の背後に歩み寄ると、彼が読み終えたらしいテーブルの上の手紙を手に取る。品のよさを感じさせる白い便箋には、細字のボールペンで綴られた熱心な愛の言葉があった。
曰く、アングラヒーロー・イレイザーヘッドのファンであること、深夜にヴィランを捕獲し人知れず闇に飛び去った姿を目撃したことが一目ぼれのきっかけであること、そのヒーローとしての姿勢に憧れを持っていること、云々。
最後に、好みに合うか分からないが、との遠慮深い但し書きの上で猫のぬいぐるみへの言及があった。確かに差出人の名前はないが、相澤の好みをしっかり調べてあることは確かだった。「イレイザーヘッド」が猫を好むことなど身内しか知らない話だ。
「ハァ~随分熱心だねコリャ…」
ボイスヒーローとして名も顔も知られたマイクと異なり、相澤は第三者に分かるようなヒーロー事務所もなく、一般的には知られていない。しかし手紙とプレゼントは今朝雄英高校に相澤消太宛に届いたという。
「…男だな」
冷ややかな目を文面に落としていたマイクが断言する。相澤は、よく分かるな、とでも言うように、ほう、と相槌を打つ。相手が誰かということに特に関心はない、という態度だ。
手紙の一人称は『私』で、性別を判断できる材料は相澤から見ればどこにもなかったが、日ごろリスナーから無数のファンレターを貰うマイクが言うことなので一理あるような気もしたのだ。
「変わった奴だな」
アングラヒーローマニアというものはいるもので、数は少ないが相澤は過去にも活動中に声をかけられた経験はあった。以前それで面倒な目にあったので今はできるだけ無視しているが。もともとちやほやされることに関心もない。
手紙の主も奇特な嗜好の持ち主なのだろう、と相澤はさして驚きもなく納得し、もう関心を失っていた。そんなことより、おなかが空いていた。今日はマイクが「試したいレシピがある」と言っていたので待っていたのだ。明日も朝から早いし、はよ夕食を食べて寝たい、相澤の欲求はただそのひとつだった。
「捨てていい?」
「は?」
「あの手紙と猫よ」
唐突なマイクの、問い、というよりすでに決定済みのことを念押しする程度でしかない素っ気無い言葉に、相澤は面食らう。
見上げた表情はサングラスに隠されているが、1ミリもふざけていないのは分かった。むしろ怒る直前の、彼がたまに見せる不穏な静けさをまとっていた。
「別に捨てることはねぇだろ」
「No kidding…お前あの猫のキュートさにやられてんの? 盗聴器仕掛けられてるかもしれないぜ」
「んなもん確認済みに決まってるだろ。素人扱いすんな」
「超小型爆弾だってあり得るだろ。最近のは高性能なセンサーだってなかなか検知できないぜ」
「誰に言ってんだ? 同じことを2度言わせんな。根津さんにも見てもらった」
「あ~そう…校長にまで?フーン」
そうまでして持って帰ってきたかったのか、と暗に言われた気がした。なんとなくマイクが喧嘩口調だったので、つられて相澤の言葉もあらっぽくなる。実際のところ、相澤とて見知らぬ人間が贈ってきたぬいぐるみに固執するつもりはなかった。ただ、人知れず捨て猫に心を痛める性分からすれば、作り物とはいえリアルに猫の形をした人形をごみとして捨てることに若干の抵抗があった。
「あれは捨てさせてもらうぜ。けど、代わりに週末新しいの買うよ。どーんなネコちゃんでもよ」
「30のおっさんがぬいぐるみ持ってレジに並べるか。別にぬいぐるみが欲しいわけじゃない、ただ物に罪はねぇし、わざわざ捨てるほどじゃないだろってだけだ。…何気にしてんだ?あんなのただの置物じゃねぇか」
くれた奴のことは何とも思ってないから安心しろ、と。
その言葉にマイクは下を向いてうなったが、らちが明かないと判断したのか結局説得を中断した。代わりに相澤の頭を自分の胸元に引き寄せ、感情を押し殺した声を落とす。
「…消太さぁ、なんで俺が怒ってるか分かんないだろ?」
「分かった上で言ってる」
「分かってない! だからそんな無頓着でいられるんだよ。あ~~~~イライラする、クソ」
「年とって神経質がちと進んだな、お前」
「消太のデリカシーがなさすぎんのォ!」
マイクはそう返すと相澤から離れ、冷蔵庫を乱暴に開けた。すぐにまな板の上で野菜を荒く刻む音が聞こえてくる。今日は味の保証はねえからな、との言葉も。「試したいレシピ」は無しになったらしい、そういう気分じゃないようだ。
確かにマイクは番組のリスナーからのプレゼントも全て欲しがるスタッフに配ってしまい、一切家に持ち帰らない男だった。理由を尋ねれば、リスナーの気持ちは大事にしたいけど、どんな奴がくれてるか分からないしさ、と申し訳なさそうに話していた。
マイクほど顔が売れていればファンにも色々な層の人間がいることは想定できるため、自然と警戒心が身につくのは分からなくもない。それにマイクは、にぎやかしく明るい外面に似合わず、懐に入れば潔癖と言えるほどの繊細さをみせる男だった。
相澤は開いたままのドアから寝室に鎮座する猫を振り返った。
薄暗闇の中で、2つの緑色のガラス玉はかすかに光る。ぬいぐるみにしては珍しいその澄んだエメラルド色を、相澤は気に入らないわけではなかった。誰かの瞳に似ているから。
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