心臓を射貫く料理人
『今日はシチューだ。まず豚肉の処理から入る…』
声が!!いい!!
俺はパソコンの前でうなった。仕事を終え帰宅した俺の日課であり最大の楽しみ、動画視聴。画面の中では自称出張料理人のニスロクが豚肉を切っていた。切断面の美しさに立派な彫刻品でも見たような気持ちになる。
ニスロクの料理技術はいつも手早く、それでいて仕上がりは素人の俺から見ても凄まじいのが分かる。店を持っていたら多分ミシュランで星がいくつも取れちまうだろう。なのにニスロクは店を持つどころかどこにも所属していないようで、ネットでひたすらお料理動画を上げている。動画の平均再生回数は1億回で、謎多き彼の魅力に俺だけでなく多くの人がハマッてるのは間違いないだろう。週刊誌には『住所不定・無職(ユーチューバー)のスゴ腕料理人!?その正体は…』なんて見出しのゴシップも躍るが憶測百パーで真実みのある情報もない。本人が最初の動画で『ニスロクだ』と名乗っただけでそれが本名なのかも分からない。着ている服は中国人っぽいのに日本語が流暢、瞳は黄色で国籍不明だ。とにかく謎謎謎。謎だらけだが、それがミステリアスでたまらない。
ニスロクが野菜に包丁を入れる、タン、タン、という小刻みな音がここちよく耳に響く。
『繊維を断つように切れば味が染み込みやすくなる。今日はシチューだがブイヤベースもいい。特に殻付きのムール貝で十分ダシを取った…』。…こんな風にニスロクは料理を続けながら、脇道に逸れて自分の気に入る別の調理方法を話したり、他の食材の話をしたり。その様子は楽しそうで、この人マジで料理が好きなんだなとホッコリする。
ふと、一番最初の動画で名前を名乗った後、ニスロクが『この世界には食材を無駄にする馬鹿者が多いのでこれからここで料理の手順について解説する』とムチャクチャ険しい顔で言っていたのを思い出す。料理が好きな彼から見て許せないシーンが沢山あったんだろう。
『これでしばらく煮込む』
具材の入った鍋に水を投入し、ニスロクが蓋をする。こんな風に煮込んだり、あるいはオーブンにかけたりする間、自然体で時間を過ごす彼を観察するのがファンの楽しみになっている。ニスロクは料理中決して料理のそばを離れない。『○○分後』なんて編集でショートカットをすることもない(そういう編集技術もないんだろう)。テレビのように事前に作り置きしたものをすり替えるのも彼のポリシーに反するらしい。
付け合わせで何か別の料理を作り始めたり、どこからか料理書を取り出し捲っている時もあるが、今日はコンロの前に立ったまま片腕を組んで物思いに耽っている。横顔のスッと通った鼻筋、じっと一点を見つめた綺麗な色の目。たまに三つ編みがゆらりと揺れるのが何だか黒猫のしっぽみたいで可愛い。どうやら新しいレシピを考え込んでいるようだった。時間を忘れたような真剣さで、こっちもその顔の造形の良さに見とれていると今回のボーナスタイムはあっという間に終わってしまう。
『ここから牛乳を加える。同時にバターを溶かしておく…』
ニスロクは鍋の蓋を開け、早々と次の工程に入った。彼は正確に時間を計ったり、蓋を開けて中の様子を見ることをしなくても、具材の火の通り加減が手に取るように分かるみたいだった。長年の勘なのか、嗅覚なのか、あるいは耳で何かを察知しているのか。どこか人間離れした鋭い料理技術を持つ彼ならどれもあり得るだろう。鍋の中に牛乳を流し込んでいく横顔を見ながら、俺は溜息をついた。うっとりしたやつだ、自分でも気持ち悪いが。
浅い皿で湯気を立てるシチューは見るからにうまそうだった。ルーを使わないニスロク特製の本格シチュー。最高だ。もし画面の向こうのあれを食えたら秒で死ねる。彼は今日作った料理に合うパンや付け合わせについてさらっと説明すると、いつもここで無愛想に動画を終えてしまう。俺は出来上がった料理をどうしているのかいつも気になっている。ニスロクのことだから捨てることは絶対ないだろうが、作るのは常に二人分なのだ。この後誰かを呼ぶんだろうか…?
俺が考え込んでる間に皿を一旦置いたニスロクがカメラを止めるために画面に近づく。
『次回は…そうだな、きのこと鮭のグラタンだ。この時期のきのこは美味いぞ』
「アッ!!」
俺は心臓を抑えた。ニスロクの正面顔のアップ、動悸息切れ不整脈をいっぺんに引き起こしてダメだ…!間近で囁かれた声もいい。唇の端っこを微かに持ち上げた、美味いぞ、が悪そうでどうにもたまらなくなって跳ねた膝がPCデスクに盛大にぶつかる。毎度のことだが心臓を射貫かれた気分で、椅子から転げ落ちそうになる。いやまだ駄目だあれを見ないと…!カメラの電源を落とすために、ニスロクの男らしいが綺麗な手がゆっくりとこちらに伸びてくぁ@wせdrftgyふじこlphそいfぐgyhア゛ア゛っ!!!!!!!!!!!
ガルド来たてのニスロクが賊に捕まりちょっとボコられる話
船底に転がされたニスロクの腕には麻縄が固く食い込んでいた。
最近行きつけだった王都のレストランで食事をした後、店の前で待ち構えていた賊に捕まったのだ。店主がそうするよう頼んだらしい。賊は二人がかりでニスロクを拘束すると、ちょうど船着き場に来ていた貨物船の乗組員にワイロを渡して船内に乗り込んだ。海の向こうの、奴隷売買が盛んな街へ向かうために。
「しっかし…一度食い逃げした店にまァた客として何食わぬ顔で来店するってどういう肝の据わり方してんだお前」
賊のうちの片方である銀髪を逆立てた男が言った。ニスロクは彼の存在よりも彼が腰掛けている積み荷の木箱──中から酸味のある若いワインの匂いがした──に気を取られていたが、仕方なく答えてやる。
「あの店はいい。厨房に優れた目利きがいるのだろう、メインだけではなくサイドや香り付けに使う香草類まで一級品を使っている。料理の仕方は適切、丁寧だ…メニューにもう少し真新しさが欲しいところだが」
「…食い逃げ野郎が居直ってグルメ気取りか?俺が言うのもアレだが、お前常識あるか?」
ニスロクの言葉に呆れた銀髪の男の向こうで、彼の仲間である痩せぎすの男が高らかに声を上げて笑った。野鳥のような笑い声だった。
「こいつ街中のメシ屋で食い逃げしてるらしいからな。ママに『お店でご飯食べたらお金を払うのよ』って教わってねェんだろ」
「『お金』?なんだそれは」
メギドラルには無かったものだ。新しい食材か?とうつぶせの姿勢から首だけを傾け後ろを向いたニスロクに、賊二人は黙り込んだ。言葉を失ったのだ。
「……何言ってんだこいつ。この歳まで生きてきて金を知らないって、んなことあるか?」
「フゥ~ン…分かったぜ。頭がイカれてんだよ。まともな人間なら捕まると分かってて三日前に食い逃げした店にノコノコ来るわけねえ」
「参ったな…これじゃ奴隷として大した値段にならねぇ。ロクに主人の世話もできねえだろ」
「売りさばく時は頭がイカれてることは黙ってりゃいいよ。それにこれだけ図体がデカいんだ、傭兵としてただ門の前に立たせときたい金持ちもいるだろ」
痩せぎすの男の言葉に銀髪の男は成る程、と納得する。
「ま、グルメ気取りだか何だか知らねえが喜べ!向こうについたらお前のまだ見ぬご主人がたーっぷりうまいもん食わしてくれるよ」
豚の餌だろうがな、と心の中で付け加えて銀髪の男は高笑いした。彼の話を言葉通りに捉えたニスロクは縄を千切るのをやめた。店を出て彼らに捕まってから大した抵抗もせずにこの貨物船に詰め込まれのは、まだ見ぬ地に行くことができるからだった。新しい土地、それは新しい食材の宝庫。ヴァイガルドに来て一ヶ月、王都の食材を粗方食べ尽くしたニスロクはこの数日少し退屈していた。だから船旅は都合がよかった。
「…それにしても、こいつ売られるってのに全然動じねぇのがつまらねえな。こんな図体いいのにあっさり捕まったし、大人しく縄にかかったし」
「頭イカれてるからだろ」
痩せぎすの男は鼻で笑ったが、銀髪の男は納得しないらしい。質素な黒のコックコートの肩口を掴んでニスロクの顔を自分の方に向けた。
「…こいつただの食い逃げ野郎の癖にイヤに顔が良い」
「女のヒモでもやってたんじゃねぇか?だから金ってもんがよく分からねえ」
「ムカツくぜ~。こっちは騎士団に怯えながら人さらいで真面目にコツコツ稼いでんのによ」
男はそう言い終えた瞬間、腕を大きく振りかぶってニスロクの右頬を殴りつけた。拳の骨と頬骨がぶつかる鈍い音。床の上へ再び頭を落としたニスロクを見下ろし、痩せぎすの男が諫めた。
「おいおい、こいつの顔が気に入るご婦人もいるかもしれねェんだから顔はやめとけ。顔は」
「分かってる、一発だけだよ」
そう言いながら銀髪の男はニスロクの胸ぐらを掴んで仰向けにすると、表情を険しくした。眼下の男が形のいい眉を顰めるだけでうめき声ひとつ出さないのが面白くなかったのだ。
「よぉー食い逃げの旦那。あんた真ぁぁっ直ぐ骨の通った小綺麗な鼻だな?俺と違って鼻の穴もシュッと縦長で上品に見える…」
銀髪の男はそう言いながらブーツのかかとをニスロクの鼻に勢い良く振り下ろした。体重以上の衝撃を与えてやろうと、悪意を燃やしながら強く。
「ぐっ」
「ハッハァ、鳴けるじゃねぇか。いい声で鳴くなぁお前」
男はそのまま鼻骨が砕ければいいと固いブーツの角で体重をかけると、満足げに笑った。
「貴様…」
切れ長の瞼の下で金の瞳が鋭利に光った。銀髪の男は自分の背筋が奇妙に硬直したのを感じた。…怯えだ。その感情に気付き、男は舌打ちした。そして手足を縄で縛られた人間の無力さを証明するように今度はニスロクの顔を横から思い切り蹴飛ばした。一度浮いた頭が床にバウンドする鈍い音。ニスロクの鼻からは一筋の血が伝い、唇を赤く濡らした。ダメージを咀嚼するようにそのまぶたがひどくゆっくりと瞬く。東洋的な整った顔立ちには怯えも焦りもなく、ただ硬質な表情の奥に冷ややかな怒りを燻らせているだけに見えた。それどころかその顔は自身の血をまとって厳かに、美しくさえ見えた。そのことに銀髪の男は苛立ちを増した。
「おい、一発って言っただろうが」
「一発も数発も大して変わらねえだろ。あとは体にやる、よ」
仲間にたしなめられた男はそう返して再び足を振りかぶると、ニスロクのみぞおちを狙って蹴り上げた。コックコートの表面に焦げ茶色の土の跡がつく。
「…汚れた」
静かな低い声だ。
「あン?何?」
「貴様の汚い靴で服が汚れた。厨房に立つための服が、だ」
は?と返した男の足首がニスロクの右手に捉えられる。男本人も、痩せぎすの男も目を丸くした。ニスロクは両手足をきつく縛り付けられていたはずだからだ。見れば縄は千切れ、蛇の抜け殻のごとく床の上に力なく落ちていた。
「ぎゃばっ」
片足が引かれ、銀髪の男は盛大に倒れた。床にぶつかった頭が間抜けな鈍い音を立てたが、それよりも足の痛みが強く悲鳴を上げた。ニスロクの手のうちで足首の骨が砕けていた。
「獲物の血で服が汚れるのはいい。だが何の役にも立たん貴様のようなゴミの靴で汚れるのは我慢ならん」
口を大きく開け悲鳴を上げている男の頬を、ニスロクの拳が打った。先程男がニスロクにしたよりもはるかに重い音だった。頬骨が割れ、男の血色の悪かった肌に拳の跡が痣として赤黒く残る。ニスロクはそれを冷ややかに見下ろしながら、今度は男の鼻を正拳で突いた。がぶっ、と上がる悲痛な叫び。ニスロクが拳を離すと、潰れた両の鼻の穴から鼻血が一筋ずつ零れた。
「人の美醜には興味がないが…貴様にはその方が合っているな」
そう言い終えたニスロクの首筋に、冷たさが走った。もう一人の男が背後からナイフの刃先を当てていた。死にたくなきゃ大人しくしろ、と早口での脅し文句。
「そんな小さな刃で私が仕留められると思うか?カスは脳みそまでカスなのだな」
刃物に恐れを持たないニスロクは何の迷いもなく賊のナイフを奪い取る。その早さ、微塵も恐れを感じない様に賊は瞬時に畏怖した。声を上げるよりも先に足腰から震えが走った。黒髪から覗く猛禽のよう金色の目。化け物だ、と本能で感じた。こいつは人間じゃない、人間じゃない何者かだ…脳裏に繰り返される警告。頭皮にぶわりと冷や汗が浮いたと同時に、目の前でも血が飛び散っていた。切り裂かれた自分の首から吹き出た血だった。
「刃が獲物に対して小さい時はこう使う。覚えておけ」
冷ややかな目だった。痩せぎすの男はこのまま自分が切り刻まれ、解体される錯覚を覚えた。足が震え、生温かな血が溢れる首筋を抑えたまま床に座り込む。傷は致命傷ではなかったが、恐れからそれ以上動けなかった。
ニスロクは口元に跳ねた男の血を舐め取る。
「…不味い」
ろくな生活を送っていないのか、男の血は生き物が本来持っているはずの鮮度に欠けていた。風味の落ちた二級品だ。恐らく肉もそうだろう。この男を美味くなるよう調理するにはどうしたらいいか…考えかけて、やめた。
もし葛藤なくヴィータを食べるにしても貴重な初めての晩餐が二級品というのは惜しいし、火も厨房もないここは満足に腕を振るえる場所でもない。それはニスロクの興味を失わせるのに十分な理由だった。
カテゴリー別人気記事