◆『ヤリ捨て男』
「そんなに悩むんなら振るなよ…」
朝、寝不足で生気のないひざしの顔を見た橋本は呆れたように言った。ひざしが学園のアイドルを振ったという噂は校内を駆け巡り、翌日である今日には周知の事実になっていた。人目につかぬ裏庭でそっと伝えたのに、盗聴の個性の者でも隠れていたのだろうか。
「彼女授業中に泣いてたらしいぞ。ぽたぽたっと静かにノートを濡らした滴は世界の宝珠…な~んて俺は聞いてるけど…。目立つ人だから一挙一動を皆見てるからな、友達か誰かが授業後心配して囲んで…ってことみたいよ。濡れたノートになりたいね」
「橋本の性癖はそんな生やさしいもんじゃないだろ」
「バレた?まだ午前だからな」
軽口を叩きながらも橋本の話にひざしの胸が痛くなる。ひざしが謝罪とともに別れを切り出した時も彼女は言葉を失っていた。申し訳ないことだが、ひざしが自分で思う以上に好かれていたのかもしれない。
しかしひざしもひざしでショックを受けていた。昨日相澤に振られるまで、正直言って『イケる』と思っていた。相澤が自分に向ける他と違う表情、たまに感じる言葉のやわらかさ。触ってもいやがらない、どころか希望的観測かもしれないがその反対に見えたこと。それなのに。
◇
「男同士だろ。付き合ってどうする?」
箸は手で持て、とでも言うようにさも当然なこととして、そっけなく返された言葉。断る、というまさかの拒絶に打ちひしがれていたひざしがそれに答えられずにいると、相澤はまっすぐな目で射った。
「つうか『付き合う』ってなんだ?」
ひざしは言葉を失っていたが、ひどく動きの鈍い脳を回転させ必死に乾いた喉を動かす。
「ンと………俺のものになって、ってこと」
「あり得ねえな。俺もお前も人間だしどう頑張っても他人だ。お互いモノみてーに所有することはできないし、男同士じゃ婚姻関係も結べない。お前の言ってる話は理に合わない」
「………」
「…言い過ぎたか?俺が言いたいのは、お前が何をしたいのか俺にはよく分からない、って話だ」
鋭く硬質な正論をたたき込まれてひざしが黙り込むと、相澤は同情するように少しだけ表情を緩めてそう言った。促されるように、色を失った唇が、怖々と本能の言葉をつむぐ。
「…。…触りたい。相澤に」
ひざしの呟きを、相澤は鼻で笑った。
「さんざん触っといて今さら何言ってんだ。ンなもん付き合ってなくてもできるだろ」
真後ろにあったベッドの上に背を預けた相澤に、胸ぐらを掴まれ引っ張り上げられる。とっさに相澤の顔の横に手をついて倒れ込むのを防いだが、自分が覆い被さり、押し倒したような格好になってしまったのをぼんやりとした頭が数秒遅れて認識した。
「男女の真似事がしたけりゃすればいい」
自分を見下ろしたまま固まるひざしに、相澤は唇を持ち上げて言った。予想もしなかった出来事の連続に、ひざしは完全に思考停止していた。飛躍がありすぎてなぜこうなったのか分からない。それでも相澤の言葉にスイッチを入れられたように手のひらにじわと汗がにじみ、焦燥を帯びる。気付けば指が相澤の輪郭に触れ、顎へ滑り、青白くやわらかな首の皮膚を撫でた。心臓が急に膨張したように、呼吸と胸が同時に苦しくなる。獣のように浅く早くなる吐息で、その首筋に顔を落とした。
「ッ………、悪い」
ひざしは飛び退き、ぎゅうと自分の身を硬く縮こめた。抑えの効かない自分の本能を戒めるように。震える喉で、帰ってくんねーか、とだけどうにか告げる。自分で無理矢理家に連れてきておいてあまりにも身勝手なことを言っていると頭では理解していたが、どうにもできなかった。
相澤はあっさりとベッドから下りて鞄を手に立ち上がると、またな、と抑揚なく呟いて足早に出て行った。
◇
ただ単純に振られるよりも後味の悪い結末。
ひざしの知る相澤は、未精通で自慰の仕方もろくに知らず、色恋にはうとそうな無垢な男だった。勘違いだったのだろうか?自分をベッドに誘い込んでニィと意地悪く笑った顔が脳裏に焼き付き、ひざしを悩ませていた。もしかしたら、前を知らないだけで、後ろの経験は豊富なのかもしれない。それならば自分に触られて拒絶しないのも不思議ではない。
(つまり……慣れてる?)
「わっなんだよ」
妄念を振り払うように急に頭を振り乱したひざしに橋本が驚きの声をあげる。
「……恋愛って難しいね、橋本くん…」
「はあ、まあ…あんまり思い詰めんなよ?あとしばらく上履き履きかえる時は中ちゃんと見ろよ?」
「うん…」
「カッターの刃入ってるかもしれねーからな。学園のアイドルをヤり捨てた男ってことになってるから、お前」
「うん…」
「教科書隠されてたら貸すから言えよ」
「うん…」
「聞いてっか?」
ひざしが空いた隣の席をぼんやり見つめていると、今日は珍しく遅刻ぎりぎりの相澤が寝癖のついた髪をなびかせて教室に入ってきた。
◇
イレイザーヘッド。
イレイザーヘッド。
イレイザー、ヘッド。
ひざしは隣の席で教科書を開いている相澤の横顔に先ほど決まったばかりのヒーローネームを重ね合わせるように、何度も呼びかけた。次の授業に入ってもまだひざしの心臓は落ち着かない。担任から言い渡されたヒーローネーム考案の課題に、自分が軽い調子で、内心は死にそうなほどドキドキしながら、提案した名前を相澤はあっさりと採用した。
『マ、マジでいいの?お前一生この名前背負ってくんだぜ…俺が考えた名前を、さ』
予想の斜め上をいく展開にひざしがそわそわと尋ねると、相澤はわざわざ確認される意味が分からんといった態で首を傾げ、答えた。
『悪くないだろ。…お前が決めたなら』
澄んだ目の、穏やかな表情。そっか!ならよかったぜ!と答え、ひざしは、先生トイレに行ってきますと叫んで教室を飛び出した。
相澤の言葉を思い出すだけで一時間後の今も頬が熱くなってしまい、ひざしは顔を両手で押さえた。一方で胸がしくしくと痛む。
(なんで先週あんなこっぴどくフッたんだよ…)
冷たく告げられた正論を思い出し、期待しちゃいけないんだ、と自らに言い聞かせる。それでも今日の出来事を思うと、沸き上がる幸福感を抑えられない。もしかしたらもう一回告白すればいけるんじゃ?あの相澤が男と遊んでるなんてあるわけないよな、と根拠のない思いが次々に頭をもたげてくる。ひざしが百面相が堂々巡りをしているうちにいつの間にか授業が終わり、相澤が席を立った。ひざしもほぼ反射的に立ち上がった。
廊下で声をかけた相澤は、先ほどの授業と同じような様子でひざしを振り向いた。
「あのさ、今日の夜うちの近くで夏祭りあるんだけど…一緒に行かない?」
「渡瀬八幡宮か」
「あ!そうそう。そっか相澤の家からも近いもんな」
「何時?」
イエスかノーかの前に集合時間を尋ねられひざしは面食らったが、帰宅時間から少し考えをめぐらせて7時、と答える。
「服は」
「え?」
「浴衣か普通の服か」
「えっ……あ、浴衣、ならありがたい、です…」
「分かった」
そう言うと相澤は背を向けて歩いて行った。夏祭りなんて時間の無駄だ、と一蹴されると思ったのに、あっさりとした承諾。その上浴衣まで着てきてくれるという嘘のような事実に、口から、マジか、の言葉がぽろり零れた。
◆お前の癇癪相変わらずだな
ヨーヨーを揺らし歩く子どもの小さな足。涼しげにうなじを晒しまとめた髪できらめく髪飾り。肌にからみつく湿気を含んだ夜風に、甘ったるく香ばしいソースの匂いが流れてくる。ひざしは人混みの中でもすぐに相澤を見つけることができた。ひもで吊られ空に連なる赤や黄色のちょうちんの下、相澤の頬も今日はいくらか血色よく見えた。
「かわ、かっこ、…似合う!」
「んだよ、何が言いたい」
「似合う…。すげーいい……」
白い喉から落ちる肌、前で閉じた襟から微かに覗く鎖骨。落ち着いた紺色の浴衣で、相澤の肌の色が映えた。ひざしが目を輝かせながらこぼした感想に、相澤は照れたのか少し顔を背けた。それから、お前も似合ってる、と小さく呟いた。ひざしは予期せず褒められ、白地にドットが線を引く自分の浴衣を見下ろして頬を染めた。
「まずお参りだな」
「だな!」
相澤もこの夏祭りには過去に来たことがあるのだろう、広い境内の中で社に向かって人混みのなか迷わず進んでいく。この神社の社はかなり高台に作られているため石段は三百五十段ある。年寄り泣かせの名所から一直線に伸びる石段を老若男女がゆっくりと上り下りしていた。
小銭を投げ入れ手を合わせて賽銭箱の前を離れた相澤の顔を、ひざしは覗き込む。
「何お願いしたの」
「ンなもん言ったら叶わないだろうが」
「神様がンなケツの穴の小さいこと言わねーよ」
ひざしの軽口に相澤は眉を顰めたが、結局口を開いた。
「オールマイトの活躍で急速に治安がよくなってる。だけど極道やヴィランの地下組織はまだ無数にある…一刻も早く自分のやるべきことを全うできる存在になりたい、そう願った。普通だろ」
「ドマジメだな~相変わらず」
笑ったひざしの目の前で頭にオールマイトのお面を付けた男の子が通り過ぎた。妹なのだろう、手を繋ぐ幼女も後ろ向きに同じお面を付けていた。お面の売れ行きはヒーローの市民支持のバロメーターでもある。今日2人が通ったお面屋のすべてが示し合わせたようにオールマイトのお面を並べていた。ひざしは石段の下へ小さくなっていく幼女のお面を見下ろしながら言った。
「やっぱオールマイトは人気だよな。デビューしたてだけど放つ閃光が違う。All mightの名の通り、全方位的にスゲー数少ないヒーローだ。パワーもスピードもキャラクター性もメッセージングもピカイチ。特別な存在だよな」
相澤も異論はないのか静かに頷く。
「けど確かにオールマイトや今のヒーローだけで事足りるとも限らねぇし。俺は俺たちの世代でオールマイト並みの、いやそれを超える存在になりたい!…ってお願いした」
「大きく出たな」
「相澤もそう思ってんだろ。一人じゃ無理でもさ、俺たち二人そろえば結構なAll mightジャン。俺は熱いメッセージで電波塔通して人々の不安に寄り添うヴォイスヒーロー、プレゼント・マイク!お前は敵のアジトに潜入してヴィランを着実にぶっとばしてくイレイザーヘッドとしてさ」
「俺の方がしんどいじゃねぇか」
そう言いながら、相澤の横顔はまんざらでもなさそうだった。やはり表情は柔らかい。ひざしはまぶしいものを見たように目を伏せ頬を染めると、黒い髪に隠れた耳にだけ聞こえる声量でささやく。
「…あともうひとつ、相澤と付き合いたいってお願いした」
振り向いた瞳が丸みを帯び、その中で祭りの火が揺れた。先週のような冷たい正論は返されず、…神頼みかよ、不甲斐ねぇな、と呟いて、相澤は石段を降りていった。
「ってことで何から食べる?」
見渡す限りの屋台が、夜を明るく照らしていた。おいしそうな匂いが混ざり合い、二人の胃を刺激する。相澤の回答は早かった。
「ヤキソバ」
「いきなりかよ!」
「じゃあオムソバ」
「一緒だっつの!いきなりそんなメシみたいなのどかっと腹に入れたら色々食えなくなっちゃうじゃん。最初はもっと可愛いモンからいこうぜ」
相澤の不満げな顔を一蹴し、ひざしは向こうに見えた屋台を指出した。
「これが可愛いモンか?」
「お祭りといったらコレじゃねー?」
飴に包まれ艶やかに光る大ぶりの林檎を前に、相澤は納得いかないような顔をする。ひざしは重みのある割り箸を握り、一口かじりついた。みずみずしい果肉がシャクシャクと口の中で音を立てて崩れていく。
「林檎を飴で包むっていうのがなんかよく分からねぇ。そのまま食った方がよかねえか」
「合理的じゃないって?」
「まあそうだ」
「食う?」
食べたことがないという相澤に赤い果実を差し出すと、逡巡したが小さく口を開けた。
「もっと思い切り、ガブリって」
ひざしの言葉に相澤が口を開け、歯を立てる。
「どう?」
「ん…うまい」
ひざしは林檎飴を引き寄せ、自分の一口に重なったためらいのない囓り跡をじっと見つめた。目を上げれば、そこそこ気に入った様子でシャクシャクと頬を動かす相澤の唇で飴の破片が光っていた。とってやろうと無意識に指を伸ばせば、気付いた相澤が驚いた猫のように目を大きくし、耳を赤く染めた。ひざしもそれを見て、心臓が跳ねた。
「いや、…飴ついてる」
「ああ…」
(俺の家であんな強気に誘ったのに、なんでそんな顔すんだよ…)
ひざしは軽口を接げず、代わりに進行方向の屋台を指さして、からあげ食おう、と言った。
オレンジ色の紙のカップに山盛りに盛られたからあげを、2人で爪楊枝でつつく。屋台が途切れた木の下で佇む2人の前を、楽しそうな人々と喧噪が通り過ぎていく。相澤はそれを眺めて黙っていた。ひざしはからあげをもごもごと咀嚼しながら、必死で話題を探す。
「…そういやお前のお母さん元気?」
「なんで」
「いや、この間見舞いにいった時になんつーかその…俺嫌われてない?」
相澤がからあげをひとつ飲み込んでから、ああ、と合点がいったように頷いた。
「別に嫌いとかそういうんじゃないから気にするな。お袋心配性なんだ。昔から気分に波もあるしな」
「心配性かー。一人っ子だもんなー相澤んち」
「それもある。あとガキの頃に俺が親父の研究所に検体として連れてかれたことがあって…母親はハナから反対してたんだけど無理矢理引きはがされてそれから少し雰囲気が変わった」
ひざしが目を丸くして、ケンタイ?と尋ねれば、個性の発動と抑制の機序解明のための研究、と難しい言葉が返ってくる。
「ふーん、何歳くらいの時?」
「4歳」
「よく覚えてんなそんな小さい頃のこと」
まあな、と言いながら相澤はからあげの最後の一個を無情に爪楊枝で挿し、口に放った。あ!ラストォォーー……!とひざしの悲鳴が祭りの賑わいの中に消えた。
その後二人はソースせんべい、たこやきを腹に入れ、型抜きで競い合うもののお互い気が長い方ではないので最後には板菓子を叩き割り、くたびれた顔でかき氷の屋台の前にやってきた。目の前で氷かき機が四角くてらりと光る大きな氷をガリガリと削っていく。湿気が多く生ぬるい空気の中では、それを見ているだけでも涼しく感じた。
バン、と大きな破裂音が上がる。空に赤い光が飛び散り、花のように広がった。神社からほど近い川の向こうで花火の打ち上げが始まったのだ。二人がそれぞれかき氷を受け取る間にも多くの人が花火の見えやすい位置を探しながら人混みの中で忙しなく歩を進めていた。
「花火見よっか」
「かき氷食ってからでいい」
「それもそうだな、何千発もあるし…人がすげぇから社の方行こっか」
ひざしが先ほど賽銭を入れた高台の社を指出す。位置は高いがご神木である巨木の群れが頭上で鬱蒼と茂り、花火が見えづらい場所だった。打ち上げ方向を向いてもちょうど社とその後ろの鎮守の森が邪魔になるため、参拝していた人たちも花火を見るために慌てて降りてくるのが見えた。
二人はその流れに逆らい、石段を上る。案の定、上りきった社のそばにはもうひと気がなかった。少し奥まった場所にある2つの丸い大岩にそれぞれ腰掛け、シロップの下できらきら光る粗い氷の粒にプラスチックのスプーンを立てる。レモン色の氷が喉で消えていく心地よさに目を細めてから、ひざしは隣を見た。
「イチゴ一口ちょーだい」
「味一緒だろ」
「夢のないこと言うなって!」
相澤は結局赤い氷をスプーンで掻き、一口分を上に載せるとひざしの口元に、ん、と差し出した。ひざしの頬が熱くなる。かき氷ごと差し出してくるかと思っていたのにまさか『アーン』してくれるとは…本人は何の意識もないのだろうが、ひざしの心臓はせわしなく音を立てた。茶化すこともできず、アリガト、と小さく呟いて、相澤の差し出したスプーンを口に入れる。瞬間、じっと目が合い、口の中で溶けるイチゴの甘ったるい風味がひどく遠くに感じた。
「…。…レモンもやる」
自分のスプーンに黄色いシロップのかかった氷をのせて相澤の口元に差し出すと、三白眼がきらきら光る小さな山をちろりと見た。伏せ目で揺れる短い睫毛、少し離れた社の豆電球がほのかに照らす色白の頬。今度は、味一緒だろ、と言わず、唇が素直に開く。その向こうに垣間見えた、ピンク色の舌。
「…キスしていい?」
ひざしが呟いた問いかけに、レモン色の氷をひどくゆっくりと溶かした喉が動いた。
「ンなこっ恥ずかしいことをいちいち聞くな」
一瞬見え隠れする、相澤の照れて揺らいだ表情。ひざしはそれに勇気づけられ、そっと顔を近づける。ゆっくりと触れた唇は甘く、冷たかった。
「付き合ってよ、相澤」
「断るって言っただろ」
「なんで?好きじゃん…俺のこと…」
傲慢だと、勘違いだと言われてもいい。自分の直感が突き止めた答えを、ひざしは口にしていた。溢れる感情で目頭が熱くなり、少しだけ相澤の姿がぼやける。受け入れられないもどかしさと、絶対に相澤は自分のことが好きなはずだという直感。本来なら共存しないはずの相反する2つの感情が、ひざしの胸を掻きむしった。相澤は、ひざしの言葉を否定しなかった。
「泣くな」
「泣いてねぇ…」
「この間言った通りだ。付き合うとかいうもんに意味を見いだせない。エロいことしたけりゃ好きにしろよ」
「ンン~…それは違うだろ…そういうわけにはいかねーよ…」
ひざしは項垂れた。気持ちは同じ筈なのに、辿り着くゴールが違う。しかし相澤が頑として譲らない以上、ほかに何を言えばいいのか分からなかった。
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