film:キャラメリゼの夜(マイ相)

hrakマイ相

 

『あっ!!』

共同のすみかに帰って来るなり、隣人を叩き起こす深夜には大迷惑なボリューム。消太が振り返り、ざわりと髪を逆立てると、発信源であるマイクはワリィと声を潜めた。
「なんだ?学校になんか忘れたか?」
「スタッフから渡されてた新作映画のDVD観るの忘れてた~~…shit…」
「だからどうした」
「今週末公開なの。うちの番組と軽くタイアップしてるから、俺も番組の中で感想言って紹介しなきゃならねーんだよな。だから事前にDVD渡されてたんだけど、バタバタしてたら完っ全に忘れてた…」
うーん、とマイクが顔を伏せ眉間を押さえる。苦悩とともに押し寄せる眼精疲労。珍しく真面目に英語教師としての仕事に精を出したらしいマイクは、本日テスト問題の作成に追われ、好まぬパソコン作業と長々格闘していた。夜警を終えた消太と合流して帰宅した今、時刻は間もなく午前0時を迎える。今日は木曜日で、マイクのラジオ番組は明日金曜の深夜からだった。
「明日授業終わってから視聴覚室借りて見ればいいんじゃねぇか?」
「ん~いいアイデアだけど明日は打ち合わせが早いから授業終わったらソッコー局行かなきゃなんねぇ…やろうとしてる企画がまだできあがってないんだよな」
マイクは構成作家に任せきりにせず、自ら積極的に番組の中身をつくっていた。届いた手紙も可能な限り自ら目を通し番組内で読むものを決め、選曲もしかり。そのため金曜が近付くにつれ加速度的に忙しくなる男だった。合理的じゃない、と消太はいつも思っているが、口にする方がよほど無駄なので黙っている。
「うーーーん…よっしゃ、観るか!!消太、悪いけど付き合って」
「はあ?本気か」
「そりゃ作家に適当な感想書いてもらってメモ入れてもらうことはできるけど、自分が観てないものを、面白いゼ!とかリスナーに勧めるのイヤじゃん?…眠くなったら寝ていいから、頼むよ」
消太は渋々頷く。マイクの言い分は理解できた。ギャアギャアうるせぇが自分なりの筋は必ず通す男。十五年間でライバル、友人、親友、恋人と関係性は変わったが、マイクに対する評価は消太の中で変わっていない。

のだが。

「…寝てんじゃねぇか」

クリーム色の柔らかいソファに体重を預け、マイクは消太の肩の上で寝息をかいていた。映画の序盤は起きていたのに、中盤に入ると頭はそっと肩に乗り。いつの間にかその呼吸は大人しく規則正しいものになり、手に持っていたキャラメルポップコーンの袋が落ちそうになったのを消太が取り上げたのだった。
『映画にはポップコーン、ぜったい必須!』というマイクの妙なこだわりのせいで深夜にもかかわらず戸棚から引っ張り出されたポップコーンの中身は、ほとんど減っていない。仕方なく消太はそれをぽりぽりとかじりながら、暗闇の中で点滅する画面を見つめた。

何の変哲もない恋愛映画だ。
イギリス北東部の街。以前は工業で栄えたものの、今はその名残で使われない多くの水路が残る。主人公はそこに住む売れないコメディアンの男。彼は、表情といえば唯一目に憂いを含むだけの無表情な看護師の女に出会い、恋をし、毎日通勤する彼女を追い掛け回している。冷たくあしらわれる男と共に、くるくる変わる風景。
消太は内容にさして興味はなかったが、女が毎日通る公園の、陽射しに映える青々とした芝や、男が見上げた秋の高く澄み渡った空など、情景描写に目を引かれた。
テレビ画面はただ映像だけを映し、字幕はオフになっている。バイリンガルのマイクにとって日本語が画面上に映ると『頭ん中が混乱する』らしく、2人で映画を観るときは字幕をつけていなかった。消太は内容を細かく知りたいというほどそもそも映画に関心がなく、マイクが目の前で展開された会話やストーリーについて勝手に解説するのでさほど退屈ではない。画面を追うだけでも話の筋はある程度理解できることもある。
週末にたまに訪れる映画鑑賞の時間は、マイクにとっては恋人と映画を楽しむ時間、消太にとっては普段やかましい男が自分の隣で穏やかにくつろいでいる時間だった。
男女二人はいつのまにか恋仲になったらしい。画面では雨に濡れた朝の街が映っていた。つややかに光る石造りの道の上を、スーツケースを転がしながら主人公の男が歩いていく。彼はロンドンの芸能事務所からスカウトを受け、街を発つ。長年しがみついていたコメディアンとしての夢が花開く朝にもかかわらず、帽子の下の表情は浮かない。
女は見送りに来なかった。

「おい、そろそろ起きろ」
話が終盤に向けて展開する気配に、消太は肩でマイクの頭を跳ねる。洗い立ての金髪がさらりと落ちた。
「ワリ…落ちてた…」
目をこすって伸びをすると、マイクは横から消太を抱きすくめた。居眠りで抜けた時間を取り戻すように。同じボディソープを使っているはずなのに、微かに違う2人の匂いがふわと混ざり、消太は胸を満たすここち良さに、画面を追っていた目をひそかに伏せた。マイクの手が消太の腹部に滑り、黒いスウェットのやわらかな生地に浮いた小さな毛玉さえも愛すように撫でる。
「話どこまで行った?」
「付き合った。女の働く病院で患者の慰労のために男が…漫才か?わからねぇが、話芸やったらたまたま患者の身内か何かの芸能事務所の奴が来ててウケた。で、スカウトされたんで男はロンドンに行くかどうか迷ってたが、女が行けと言うから行くことにしたって感じだな。多分」
「ふぅん。別れたの?」
「そこまでは分からん。女は見送りに来なかった」
肩口に顎を乗せているマイクの息遣いが頬を撫でる。いつも感情豊かに見開かれ動く瞳が、静かに画面を追っているのが消太には分かった。理解の早い男なので居眠りで抜けた分は十分把握できるだろう。
「消太…ポップコーンちょうだい」
「自分で食え」
「NoWay~…マイハンズアービジー」
手がふさがっている、と言いながらマイクが消太の体に回した手をひらひらさせる。消太は呆れをあらわに鼻を鳴らすと、仕方なくポップコーンを一つつまんでその口に入れてやる。
「甘ッ!脳が溶けそォォ何これ?成人病めがけて全力でケツ蹴られる感じだぜ」
「だから俺は塩でいいっつったろ。何が脳ミソ溶けそうだ」
「だっていつも塩だと飽きるジャン…」
一月ほど前だろうか、スーパーで買い物かごにこのキャラメルポップコーンを5袋詰め込んだ時とまったく同じ台詞をマイクは繰り返した。『店長イチオシ!』と赤文字で貼られた見知らぬ米国のメーカーのポップコーンは、今思えばよほど在庫が余っていたのだろう。
…店長め。そう恨みたいところだが、顔も知らない誰かを恨むよりも隣の軽率な男を恨むほうがまだ理に叶う。ゼリー飲料と同じで口に入るものはいつも決まったものでかまわない消太にとっては理解できない判断だった。あと4袋は責任持って全部こいつに食わせよう、と消太は無言で誓う。

テレビ画面では、あの無表情な女も自宅でテレビを観ていた。映っているのは主人公の男だった。売れないコメディアンの殻を脱ぎ、彼は自分の名前を銘打ったトークショーでゲストと楽しげに談笑している。女は画面上で起きた爆笑につられたように笑い、それからふと、さびしげに目を伏せる。
「…いい女優だな」
マイクがぽつりと呟いたので、消太は、…まあ確かに美人だな、と相槌を打つ。
「いや綺麗だけど、そうじゃなくてイイ表情するなあってさ。確かこれが初演だぜ」
「…へえ」
「主人公の俳優もミュージカル出身でさ。演技が大ブリだからどうかなと思ったけど、この役にはよくハマってる」
知識のない消太はただ愛想なく相槌を打つだけだが、マイクにとっては隣にいてすべてを聞いてくれる優しさが心地いい。回る舌の先は俳優から監督に移り、消太も気に入ったように美しい情景描写で深みを出す手腕を褒める。その声は楽しげで、どこか温かい。今のように、エンターテインメントの作り手について、マイクは親しみを込めた口調で語ることがたまにあった。聴取率ナンバーワンを誇るラジオ番組を作っているマイクなりに共感するところがあるらしい。

『生きてるとしんどいことが多いし外じゃヴィランが暴れてる日もあるから、週末の夜くらいは俺が耳元につきっきりで楽しませたいじゃん。リスナーに穏やかな平和ってやつを心で感じてもらえたら万々歳』
いつか酔ったマイクはそう言っていた。その言葉を聞いた消太は、こいつの番組が一般市民とヒーローの間の隙間をかなり埋めているのだろうな、と何となく思った。身近なようでいて、両者の心理的な距離は実はとても遠い。マイクは恐らくそれを分かった上で、ヒーローという立場でラジオを続けている。
オールマイトの活躍を、囃し立てるだけのテレビのニュースとは違った観点から冗談を交えて紹介する。その週に活躍した他のヒーローについても裏話や意外な素顔を語ってリスナーの興味を引いた。自らのヒーローとしての失敗談は時に情けなそうに、時に面白おかしく話して笑いを取る。
リスナーからの手紙に必要以上に感情移入して『分かるゥ…切ねーよな…ちょっと待って俺まで泣けてきた…ズビッ、ADさんティッシュー!!』などと朝まで延々と恋愛相談をやっていることもあるが、マイクの念頭には彼が酒に酔って口にした理念がいつもあるようだった。
オールマイトがその腕でヴィランを吹っ飛ばし、イレイザーヘッドが夜の闇をまとって不審者に追う間、この男はラジオ塔から人の心に寄り添っている。平和を司るヒーローのひとつの姿に他ならなかった。

「ん?」
終盤差し迫る画面の光が照ったマイクのヒスイ色の瞳が、消太を見る。映画に集中しているようで、向けられる視線には気づいていたらしい。消太は伝えるには気恥ずかしい本心を隠し、代わりにニヤリと歯を見せて笑った。
「今日は泣かねーんだな、と思ってな」
その言葉に、マイクは丸く目を見開くと、赤くなった。先週、飼い主とはぐれた犬たちが主人公の映画を観た時のことを思い出したのだろう。苦笑を浮かべた唇で、照れ隠しのように消太の頬に口付ける。
「消太もウルッとしてたじゃーん…」
「お前ほどじゃない」
画面に目を向けたまま、つれなさを演じる消太の横顔に、マイクは甘えるようにキスを何度もする。ちゅ、という軽い音とやわらかな唇の弾力。ポーカーフェイスの口元がいい加減むずがゆくなってきた消太はマイクの頭を叩き、もう終わるぞ、と映画に注意を向けさせる。

クリスマスの夜だ。ホワイトクリスマス、などという可愛いものではなく、史上まれにみるどしゃぶりの雪が上空を過ぎ去り、街をねずみ色に汚していた。女は家族連れもカップルも消えた深夜、仕事を終え帰路に着く。その表情は彼女をおおう背景よりもさらに色がない。ブーツで溶けかけの雪の塊を踏みしめ、彼女が顔を上げる。家の前には男が立っていた。
彼がこの街にいた頃とは違う、しつらえの良いジャケット。さらに今日はテレビに映る時以上に気取っていて、真後ろに流し整えられた髪、汚れた雪の中でも分かる真新しい靴の光沢に、ここに臨んだ彼の気持ちが現れていた。男は朗らかな笑みを浮かべ、立ちすくむ彼女に大股で近づく。自信にあふれ、男らしく。または自分が彼女の目にそう映ることを願うように。
しかし男は彼女まであと一歩というところで、足を滑らせて盛大に転ぶ。
綺麗に整えた髪をみだし、汚れた雪でジャケットもズボンもぐしゃぐしゃにした彼が立ち上がると、呆然としていた女は噴出した。腹を抱え、今までにないほど可笑しそうに笑っている。男は雪を払い、下がり気味の眉を照れくさそうに寄せると、女の手を取った。愛の言葉をささやき、口付けようと顔を寄せる。しかし女はまだクスクスと笑いながら男の顔を手で阻む。2人は2、3言ささやくように言葉を交わす。
女は華やかに笑うと、男の服についた雪を払い、細いあごをしゃくって家の中に促した。ドアの向こうに2人の背中が消え、ゆき雲の晴れたクリスマスの夜空が映る。
画面が暗転し、軽快な明るいピアノの曲と共にスタッフロールが流れ始めた。

「最後、なんて言ったんだ?」
消太が尋ねると、流れる白文字をじっと見ていたマイクが意外そうに目を向けた。確かに、消太が自ら台詞の和訳を尋ねることなどめったになかった。愛を囁く台詞ならなおさらだ。
「珍しいな」
「何となくな」
「ふーん? …『スタジオや小劇場に観に来る人々、子供たちの笑顔は満天の星空ようで僕の心を震わせた!だがそれ以上に忘れられないのは、Babe,君の固いつぼみが花開くような可憐な笑顔だったんだ』」
オーバー気味の俳優の演技をさらに3割増しで誇張して、マイクが手振りをつけて訳す。芝居がかった台詞を茶化すやり方に、消太はくつくつと笑う。マイクは見目もよく、声に情感を込めることには長けた男だ。自然なトーンで真面目にやればそれなりにサマになるはずなのに、恥ずかしいのかひねくれた対応をする。マイクはそのまま主演の男を模して消太に顔を近づけるが、目をつむって唇を突き出す表情はまだふざけていた。
「台無しだ、バカ」
口元に笑みを含ませたまま、女がしたように手のひらでマイクの顔を止める。高い鼻がつぶれ、指の間から唸り声が聞こえた。
映画はちょうどスタッフロールが終わり、画面は真っ暗に切り替わる。消太が一瞬それに気をとられると、マイクの顔の上にあった手がどかされ、馴染みの匂いに包まれる。唇に柔らかなぬくもりが触れ、ふ、と微かな吐息がかかり、声が落ちる。
「『…一日の最後に笑いあっておしゃべりするのは、君とがいい』」
うす暗闇の中、間近に見えたヒスイ色の瞳は、和訳をリクエストした消太の本心を見透かしていた。台詞は恐らく男が女に最後に囁いた言葉。しかし耳をなでた低い響きは、誰を模したものでもなく、山田ひざしが相澤消太に向けた声だった。
「…鳥肌が立った。やべぇな、サムい」
「ちゃんとやったのに!?ヒデェ!」
聞きたかったくせに、とは言わないマイクがかえって小憎たらしい。
消太は耳をかすかに染め、手に持っていた甘ったるいキャラメルポップコーンの袋をフローリングの上に置く。察しの良いマイクはその合図に眉を寄せて笑うと、消太の肩を押し覆いかぶさった。
本心を見抜かれ通しの照れ臭さと胸の奥で浮つく気持ちがたまらず、消太はくしゃりと金の髪を掴む。あともう1言2言、悪態を吐きたかった唇はふさがれてしまった。握り締めた髪を悪戯に引っ張れば、形だけの抵抗に慣れた手が迎えに来るだろう。

(…茶番だ)
消太はまぶたを閉じ、指通りのいい髪を離すと、手のひらをそのまま背にすべらせる。ふれ合う舌が脳がとけるほどに甘いので、今日はこれでいい、と。

 

 

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