たまらなく平凡な朝餉(ニスアガ)

mgdニスアガ

 

「な~~んか…やさしい」
「やさしいわね…」

朝食の席に着いたソロモンの耳に二人の女性の声が耳に入った。ダゴンとシトリーだ。彼女たちは目の前に並ぶチーズオムレツ、サラダ、スープ、パン、デザートの果物を順繰りに口に運びながら何かを話し合っている。

「彼の持ち味は奇想天外な食材を組み合わせて驚くべきハーモニーを作り出すことなのよ。天才的なそのセンスが食べるものの心を捉え、深い爪痕を残す……今日はその冒険心がないわ」
「面白い食材が手に入らなかったのかしら?」
「そうかも。今日の朝食はただひたすらに…」
「「やさしい」」

どこか不満げにそう声を揃えながらも二人は朝食の皿を平らげていく。どうやら今日の朝食当番であるニスロクの話をしているらしい、というのはソロモンにも分かった。
ランチョンマットの上に置かれたフォークを手に、今朝のメインディッシュらしいオムレツを口に運んでみる。鼻腔に抜けていく新鮮な卵の風味とコクのあるチーズの匂い。なめらかで絹のような舌触りの表面に軽く歯を立てると、内側から舌の上にとろりと濃厚な半熟卵があふれ、グルメではないことを自認するソロモンにも絶品のオムレツであることが分かった。食べっぷりからするに、ダゴンもシトリーも味は認めている。ただ、ニスロクらしさが物足りない、ということなのだろう。

「すごかったんだよ兄ちゃん、卵が宙を舞って」
「あっという間に十個ぜーんぶ、ボールに綺麗に割れてたんだよ~!」

元気の良い声に右側を見ると、セーレとハーゲンティが今しがたダイニングにやってきたばかりのアガレスに興奮気味に話していた。ニスロクの料理の様子を見ていたらしい。彼らの元気さに対して、そうか、それはすごいな…、と相槌を返すアガレスは元気がない。声にどこか覇気が無く、頭を支えるのがしんどいのかアフロが少し項垂れている。
普段の彼は朝、顔を合わせると、おはよう!と生気に満ちた声で挨拶をしてくるので、ソロモンはどうしたのだろうと思った。それには当然、普段身近でアガレスを見ているセーレとハーゲンティも気付いたようだ。

「兄ちゃん、どうしたの?具合悪いの?」
「落ちてるもの食べた?アタイ胃薬なら持ってるよ!」
「いや…大丈夫だ」

昨日よく寝られなかったのでな、と口篭もりながら言うと、アガレスは二人を心配させないためか目の前の食事に手を付け始めた。彼が握るフォークが柔らかなオムレツを一口分すくい上げる。ソロモンはそれを見ながら、今日の朝食はとても優しい味なので元気のないアガレスも食べやすいだろう、と何となく思った。噛まなくても口の中でとろけていきそうなオムレツのふわふわ、とろとろ加減。いくつもの野菜と豆をゆっくり煮込んだであろうスープも胃に染み渡る。パンもよく朝食に並ぶ固いバゲットではなく、今日はフレンチトーストだ。卵とミルクと蜂蜜をたっぷり染み込ませたであろう甘い柔らかさに、うっとりしてしまう。
ニスロクの料理をこのアジトで何度か食べたソロモンだが、彼がこれほど繊細で口当たりの柔らかな料理を出すことに少し驚いた。斬新さはなくてもそのひとつひとつに細部まで手が込んでいるのが何となく感じられた。その優しさ、きめ細やかさに、どういうわけか自然と頬が緩んでしまう。幸せな気分だった。

「ニスロクのおいちゃん!オムレツおいしいよこれ」
「そうか」

皆への給仕を済ませ、最後に自分の分を作り終えたニスロクが皿を手に空いていたセーレの前に座った。ソロモンからは三つ隣の席だ。ソロモンは食事を続けながら、心持ち姿勢を正した。ニスロクは食事が一番美味しい状態で食べられるのを好む。以前、食べるより料理の品評を優先したシバの女王にも食い時を逃すな、と激高したことがある。彼なりに頂く命が一番輝くように調理しているので、その瞬間を無駄にされることは生への冒涜だと考えているのだろう。
すると、自分と同じようにアガレスが姿勢を正したのが目に入った。気怠そうだった彼はさきほどまでのんびりとオムレツを口に運び、スープを飲んで一休みしていたが、斜め向かいに座ったニスロクの気に障ると思ったのだろう。フォークを動かそうと手が逸っている。その気持ちが分かり、ソロモンも他人事ながら何となくひやひやとした。と、その時ニスロクが自分の食事に手を付けながらアガレスに静かな眼差しを向ける。

「アガレス。別に急いで食わなくていい」
アガレスは目を丸くした。ソロモン含め、周囲にいた者も同じ反応だった。
「よく咀嚼してゆっくり味わえ。食べきれなければ私に寄越せ」

ニスロクが食べ時についても、食事を残すことについても寛容な言葉を口にしているのを聞いたのは初めてだった。いや、以前誰かが体調を崩した時は同じことを言っていただろうか…そう記憶を辿ったソロモンと同じことを感じたのか、セーレが心配そうに尋ねる。

「兄ちゃん、なんかビョーキ…?」
「いや、違う。大丈夫だ…」

アガレスは俯くと、もくもくとフォークを口に運ぶ。セーレはまだ下から彼の顔を覗き込み、熱あるの?と尋ねていた。
向かいのニスロクはもう我関せずといった様子で自身が昨日持ち込んだ新しいドライハーブをオムレツの上に二種類、三種類と振りかけると、口に運び吟味し始める。

「やさしい」
「やさしいわね…」

一連の様子を眺めていたダゴンとシトリーが呟くのが聞こえた。