死を恐れよ(ニスロクとアガレス)

mgd非CP

 

 

 

※Bアガレスとニスロクが出会っていた場合のIF

 

 

 

盗賊たちの体を埋め終わったアガレスは両手を打ち合わせ手のひらの土を払う。血はいつの間にか乾いてこびりつき、水で洗わなければ落ちそうになかった。二本の斧を手に川へ向かいかけて、足を止める。
──この血を洗い落とすのは運命に逆らう行為だろうか。
考え始めたアガレスの耳に、何か生き物が土の上の枝を踏む音が聞こえた。見れば一人の男が立っている。黒い髪を編んで束ね、背に大きく奇怪な形をした包丁を担いだ長身の男だった。黒いコックコートをまとい、その腰にも幾つもの刃物を下げている。

「…お前も遺跡を目指しこの森に入ったのか」

アガレスは腕を振り上げ、斧を飛ばしていた。答えは必要ないからだ。この森に入った者はすべて排除する、その運命の指針に従い安寧を得たかった。しかし男は斧をかわす。

「私はニスロクだ。貴重な渡り鳥の群れがこの森に入るのを見たのでそれを狩りに来た…貴様はこの森を管理している者なのか?」
「森はただ自らの運命に従い存在しているだけだ。そして私も自らの運命に従い、お前を排除する」

琥珀色の目が訝しげに細められる。

「…食材以外に刃を振るおうとは思わん。用が済めば速やかにこの森を去ると約束しよう」
「私はお前が森に入った理由に興味はない」

アガレスが斧を片手に駆け出すと、「話が通じんな…」と溜息をついたニスロクも大包丁を引き抜き構えた。ぶつかる刃。大きな得物同士がぶつかる重い衝撃が二人の腕に振動となって走った。力は拮抗していた。先程の腑抜けた盗賊達とは違うらしい、と悟ったアガレスは一度身を引き、木を駆け上った。踏み慣れたごつごつとした乾いた木の皮の感触がアガレスの裸足を弾ませる。
男は琥珀色の目を細めアガレスが姿を消した葉の茂みを見る。獣を狩る時のように、耳を澄ませ五感を研ぎ澄ませていた。動揺したそぶりはなく、ただじっと『敵』を探り鋭い気配をまとっているそのすっと伸びた体躯の威圧感。斧を握る手が、木の幹を踏む足の裏が、微かに汗ばんだ。
──住み慣れた森という地の利を生かさなければ自分はこの男に負ける──
とはっきり分かった。

 

ドッと何かが落ちる重く鈍い音がし、ニスロクは後ろを振り返った。陰気な薄暗さが染み込んだ森の土の上に、大人の足一本ほどの長く太い幹が落ちていた。何か鋭利なもので故意に断ち切られた切断面。それが意味することを悟り、ニスロクは瞬時に後ろを振り返った。刃物が風を切り裂く音が聞こえた。

「っ」

長く伸ばした黒髪の、右耳にかかっていた部分が一房落ちる。ニスロクの首を刈り損ねた斧も湿った土の上に刺さったが、それに関心を向ける暇はない。ニスロクは耳を澄ませた。トッ、と微かに聞こえた乾いた音。アガレスの足が木の肌を踏み、跳ねた一音だ。成人の男でありながら、木々を移動する彼が立てる音は子鹿が小さく歩む程の大きさでしかない。
──まったく見事なものだ──
ニスロクは口元に深い笑みを浮かべると、腰に下げていた包丁を手に取り、振りかぶる。

「刃物を投げるのは貴様だけではないぞ」

白刃が旋回し生い茂った緑の中に吸い込まれる。小さな呻き声が聞こえ、アガレスの身が土に落ちた。勝負は喫した。彼が落ちる寸前に力を振り絞って投げた斧はニスロクの頭上のわずか上を掠め、急カーブを描くと持ち主が横たわる傍らの木へ刺さった。ニスロクは斬られた右足首を抑えうずくまるアガレスに近づく。アガレスは咄嗟に近くの木に刺さっている自らの斧に手を伸ばそうとしたが、それよりも先にニスロクの手がそれを取った。

「食材にならんものには刃を振るわんと言った。だが貴様は向かってきた…よほど私に食われたいとみえる」

森の湿った空気を震わせるほど低いのに、どこか甘さを含んだ声だった。琥珀色の目は手のうちにあるアガレスの斧をじっと見分するように見下ろすと、興味を失ったように自らの背後へ投げ捨てた。
──悪くはないが、この形状では『獲物』を無駄に傷つけてしまう──
そう思ったのだ。
アガレスの前に腰を落としたニスロクは、使い慣れた自分の包丁をかざした。先程宙を舞い、彼の手元に戻った刃だ。長く爪の伸びた指が、冷たい鋼鉄の表面に付着したままのアガレスの血をすくいとり、口元へ運ぶ。ふむ…、と吟味する姿はこの世にあらざる者に見えた。感じたことのない恐怖心を抱きながら、それでもアガレスは張り付けにあったようにそこから動けなかった。まるでそう、か弱い子鹿だ。されるがままに捕食される運命にある存在。

「ヴィータを食すのは初めてだ。貴様の肉はよく筋断ちが必要だな…だが内臓が美味そうだ。プリプリとして歯ごたえのいい、臭みの少ない新鮮な臓物を取れそうだ…」

ニスロクの手がアガレスの首にかかる。喉を手のひらで覆うように抑えられ頭を持ち上げられると、彼の鋭い爪の先が耳の裏を抉った。ぷつぷつと額に、首筋に浮く汗。視界の端で、白い刃が一筋の迷いもなく振りかぶられる。

「っ…!!」

アガレスにとって信じがたいことが起きていた。無意識に、自分の手がニスロクの手首を掴んでいた。首を骨ごと一気に断とうとした腕を完全に止めてしまうほどに強い力で。ニスロクも琥珀色の目をわずかに見開いていたが、アガレスはそれ以上に驚愕していた。
──これは…私は……運命を受け入れるのを拒んでいるというのか?──
戦いに負けた、それはすなわち死する運命だったということだ。川の水が上から下に流れるように、星が同じ周回を辿るように、運命のあるがままに身を任せるのがアガレスの願いだったはずだ。
──なぜ…恐れなのか?運命に従いたいという私の願望を、生きたいという死への恐れが凌駕したというのか?──
胸を襲っていたのは、絶望にも似た重苦しい衝撃だった。自分の行動が正しいのか誤っているのか分からない。今までの自らの考えからすると死する運命に逆らうのは誤りだ。だが、相手の腕を捉えたこの手がこれほど力強く脈動しているのは何なのだろうか。胸のうちが発光するようなこの興奮は何なのだろうか。まるで正しいことをしていると、肉体が指し示すように。
と、ニスロクが唐突に手を開いた。重力に従いアガレスの頭が再び土の上に落ちる。激しく瞬くような自問自答のさなかで、アガレスは捕食者だったはずの男を見上げた。

「なぜ……殺さない」
「『食い時』ではないと感じた」

先程の愉悦を含んだ色とは違う、どこか冷めた琥珀の目がアガレスを見下ろしていた。言葉の意味が分からず呆然としているアガレスの様子をじっと眺めると、ニスロクはもう一度口を開く。

「貴様を食うにはまだ『早い』と感じた。私の料理人としての勘だ」
「…なぜだ」

カラカラに乾いた喉が赤子のように同じ問いを繰り返してしまう。ニスロクの話した言葉の意味は分かった。しかしアガレスはただ闇雲に問う。自らが出せない答えを求め、男にすがりつくように。

「さぁな…貴様の言葉を借りるならそれが『運命』なのだろう」

ニスロクは口角を持ち上げる意地の悪い笑みを浮かべると、包丁をホルダーに通し背を向ける。しかし一歩踏み出しかけたところで足を止め、腰に下げていた布袋を横たわるアガレスの眼前へ投げて寄越した。

「足の腱が切れている。貴様はしばらく生き物を狩るのに苦労するだろう。それを食え、携帯食だ」

そう言うと彼はもう振り返らずに去って行った。足音が聞こえなくなり静寂が訪れたと同時に、アガレスの目から涙がこぼれる。そのまま湿った冷たい土に頬を擦りつけ噎び泣いた。なぜ泣くのか自分でも分からなかったが、言葉にできない憤りにも似た感情を吐き出す方法をそれ以外に知らなかった。