魔性の40男と、純朴な25の僕(心相)

hrakあいざわ受け

 

 

 

朝の静けさに響く、タイルを叩く水の音。
それにまぎれて曇りガラスの戸に忍び足で近づくと、下着を脱ぎ捨てて浴室に突入した。

背筋のゆるやかな隆起を水がすべり落ちていく。歳を感じさせない、俺が雄英にいた時と変わらないヒーローらしい背中は、たくましいのに病的なくらい青白い。その腕がシャワーのコックをひねり、水がぴたりと止まる。

「覗きか?堂々としたもんだな…」

振り向いて濡れた髪をかき上げた先生の眉はいつも通りまっすぐ線を描いて、平然としていた。驚きなんてみじんもない、という顔。

多少のリアクションが欲しかった俺はちょっとつまんない気持ちになる。まあ、ずいぶん前から浴室に近づく俺の気配には気づいてたんだろうけど。

「一緒に入ろうと思って」
「俺はもう出るぞ…ここに2人は狭い」
「狭さを気にするなんて今更でしょ、先生」

昨日は先生の狭いシングルベッドで抱き合ったでしょ、と暗にほのめかす。声を殺し、白い喉をそらせてときどき湿った吐息を漏らす先生の姿が頭によみがえって、ちょっとクる…。
俺の言葉に先生もまだ生々しい記憶をつつかれたのか、生気の薄い無表情がやっと動いた。

「”先生”はやめろって言ったろ。…犯罪者の気分になる」

漂いかけたあやしい空気を散らすように、先生はわざと渋面を作って下の歯を見せた。バリエーションの少ない先生の表情の中でもコミカルなやつ。

「そんなこと言って下の名前で呼び捨てにしたら怒るくせに」
「怒ってない。ただ…一応お前の倍近く生きてるからな」
「はぁ~はいはい…」

先生が眉をひそめるのも構わず、投げやりな返事を返す。多分この人はほんとは呼び名なんてどうでもいいんだ、俺が距離を詰めすぎることを危惧してるだけで。
もうこんな関係になったんだし、合理主義を標榜するくらいだから素直に受け入れてくれると思ったのに懐に入ると案外頑固なんだよなあこの人。

俺たちの関係は名前の呼び方すら定まってないほど、関係ができあがって間もない。

2ヶ月前、自分のヒーロー事務所をかまえてサイドキックの立場からやっと独り立ちした。戦闘はいまだに他のヒーローよりはちょっと劣るけど、俺の個性、やっぱり結構需要あったんだよね。
『まずヒーローとして一人前になれ。悪いがヒヨッ子の相手をしてる暇はない』って口上で雄英卒業後も俺を突っぱね続けた先生に、国から発行されたヒーロー事務所の設立許可証を持って再アタックした。事務所作っただけで一人前と思うな、とかどうとか言ってたけど、俺は泣きそうな顔で一芝居打って先生をベッドに押し込み、とうとう体を繋げた。
汚いやり方かもしれないけどそれだけ待たされたんだからイーブンでしょ。

翌日、私物をスーツケースに突っ込んで戻ってきた俺に、先生はベッドから呆れた目を向けるだけでもう何も言わなかった。独り暮らしだった先生の1LDKで、ささやかな同棲生活の始まりだ。

この人が『先生』って呼ばれるのがいやな理由は大体想像がつく。でもだからと言って俺はたぶん先生が望むように、『相澤さん』と呼ぶのは他人行儀でいやだし、『消太さん』もなんかムズムズするし、じゃあ残りは一択ってことになる。

『消太』

これが理想だけど、意外とムズカシイ。呼びすては先生が難色を示すってのもあるけど、それ以上に本当言うと俺が平常心でいられないからダメだ。
3回目くらいのセックスの時、思い切って耳元で消太って呼んでみたら、中がきゅうっと締め付けてヤバかった。けどそれよりも、先生をとうとう下の名前で呼んでしまったって事、長らく追いかけ回してた人を手に入れてしまったという事実の大きさがブワッとせりあがって、顔が熱くなって、気がついたらイッてた。

ちょっと説明つかない出来事だった。
あれは超恥ずかしかったし、先生がふっと微笑んで赤面する俺の頭を子どもにするみたいに撫で回したから尚のこと居たたまれなかった。俺は先生のことを手に入れたつもりでいるけど、自分が思ってるほどまだこの現実に慣れちゃいなかったらしい。クソ。

だから俺の呼び方は先生のまんま。恋人っぽくないけど、慣れてるし、雄英で途中からヒーロー科に編入した俺にこっそり個人授業つけてくれた教師としてのアイザワショウタが俺の想いの原点だから、まあ悪くないかなって。先生って呼ぶと本人がいやがるからやってるのもあるけど。…いつもツレない仕返し。

「先生、俺のこと好き?」
「またそれか…お前は懲りないな」
「好きって言ってよ」
「40のおっさん相手にそんなこっぱずかしい問答はやめろ…何度言ったら分かる。いい加減しつこいぞ」

昨日もベッドの中でしつこく強請ったので流石に機嫌が悪そうだ。
先生は頑なで、『好き』とか『愛してる』なんて言葉は絶対言ってくれない。最初は本人の言葉通り恥ずかしいんだろうと思ってたけど、そうじゃない。俺がいつでも自分から離れられるよう、言葉で縛らないようにしてるんだ。この人はいたいけな若者が自分のせいで人生を無駄にしてると思い込んでるから。妄信的に。

「…相変わらずひどい寝癖だな…」

鬱々とした気持ちが顔に出ていたのか、先生がなだめるように俺の髪をくしゃりと撫でる。粗雑だけどやさしい手つき。そりゃ好きな人にこんなことされるにはいやじゃないけど、子ども扱いはあんまり嬉しくはない。特に今は。

俺は胸にわだかまった気持ちを振り払うように、一歩踏み出して両手を広げる。

「…先生、体冷たいよ」
「出るって言ってんのにお前がどかないからだろ…」

自分より少し厚みのある、濡れた体を抱きしめれば、呆れたような言葉が返ってくる。青白い肌はひんやりと冷たかった。
体が冷めるまで時間がかかるからと熱いシャワーを好まない人なので、今日も体温より若干低いぬるま湯を使ったんだろう。石鹸だけで頭からつま先まで全部洗ってカラスの行水。合理性の下にあらゆる時間を切り捨てていく中でも、自分自身に時間をかけることを一番のムダだと分類してる。

だけどこの人は綺麗だし、悔しいくらいかっこいい。
俺は至近距離から、自分より一センチだけ低くなった先生の顔を見つめる。前髪を後ろに流して露出した額は、俺の丸いおでこと違って男らしい。あまり動じない細い眉はきれいで、額の白さを際立たせる。ダルそうな目つきは、ドライアイを気にしてんのか本当にだるいのか、ゆっくり瞬く睫毛の動きが目を引く。
鋭い三白眼に浮かぶちいさな黒目は雄英のころは何考えてるかわかんなかったけど、じっと見てると意外と感情があって、人間味もあって、それに気づくとハマってしまう。
さいきん目尻にうっすら浮かぶようになった皺も、俺は好き。セックスのとき涙がちょろっと溜まるから、それを舐めとるのがクセになってる。

「先生って…魔性の40歳って感じだよね」

魔性っていっても悪い意図はない人だけど、いろいろ気付いてないところが。案の定先生は、未開のジャングルで出会った知らない部族の言語を聞いたみたいな顔をする。

「意味わからんこと言うな。ただの中年だ」
「わかってないなあ。俺は学校の生徒が先生に惚れないか心配してるよ。ない話じゃないもん」
「そんな変わった奴はお前くらいだよ…。安心しろ」

まあ予想のついた答えだよね。
俺は苦笑しながら先生のシャープな輪郭に唇を寄せる。昔は童顔だったけど、今は少し頬の肉が落ちて色気が増した気がする。
変わらない無精髭をたどって、素っ気無い、だけど心地いい石鹸の匂いを嗅ぐように首筋にキスする。肌に残る雫が、唇を湿らせた。誘われるように口を開いて濡れた表面を舐めれば、下半身が疼いてくる。

外ではいつも捕縛武器で隠れている先生ののど元は日に焼けてなくて、傷ひとつなくてきれいで。
その白い皮膚を押し上げて男らしく尖った喉が、セックスの時は汗ばんで、声を堪えてはあと息を漏らして震える様が、俺は好きでたまらない。

「…元気だな…」

先生の声に我に返れば俺の下半身は確かに、元気に、なっていた。互いの体の間で、持ち上がった先端が先生の腿にくっついてる。
一見無表情な先生の口元は本当にちょっとだけ微笑んでて、なんとなく優しげだった。そんな大人な顔でサカり過ぎなの見透かされんのは正直恥ずかしい。けど開き直る。

「そりゃあね。10年も待たされたんだから…俺は何度でもしたいよ」

俺のまっすぐな告白を、先生は笑い飛ばそうとして、失敗した。いつも平然としてるまっすぐな眉はぐっと寄って、浮かべる表情に迷走したあげく、それをごまかすように俺の肩にあごをのせてきた。不毛な10年だったな…、と低い声で呟いて。

「不毛じゃないよ、先生とこうなれたわけだから」
「それが不毛だと言ってんだ。時間は有限、若いうちは特にな…。こんなおっさん構ってる暇があったら市民の一人でも救ってこい」
「はあ~またそういうこと言う。ほんとツレないな…」

頑固な人だ。こんな風に裸で抱き合って、俺のだけじゃない、少し早い心音が伝わってくるってのに。
セックスで繋がる時の顔、今度鏡で見せてやりたい。俺が必死で自分を求めてくることに、小さな黒目の奥が微かに安心するように照ってるの、知らないでしょ?
さっきだって勃起した俺をからかった声、ちょっと嬉しそうだった。きっと自分じゃ気づいてない。
ほかの奴じゃ気づかないだろうけど、俺はずっと見てたから分かる。先生の表情は自分が思ってるほど寡黙じゃない。

「先生ってさあ…バカな大人だよね…」
「ああ?言葉そっくり返すぞバカなガキ」

いつまでも俺を鈍感な15のガキだと思ってるこの人に、全部を指摘して追い詰めてやろうか。その強情さを取り払って、ねえ俺のこと好きなんでしょ、って。
だけどそんなことを自覚させたらこの人はひと思いにいなくなってしまうんじゃないかって気もして。俺はそれを打ち消すほどの自信をまだ、持てていなくて。

…ああクソ、確かに俺はまだ未熟なガキかもしんないな。

先生の体温のひくい腰を強く抱きしめると、俺は片手を伸ばして頭上から熱いシャワーを降らせた。
言葉で詰められない距離を詰める手段を、ひとつしか知らないから。

 

 

 

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