◇ ◇
「あら今年は猫ちゃん? 可愛い」
朝、職員室で渡された箱を開け、ミッドナイトはにっこりと笑った。一番若いという理由で献上役に選ばれた心操はほっと胸をなで下ろし、後ろで相澤やマイクら男性職員一同も安堵する。春先の重大ミッションが無事完了した。猫のチョコレートという選択からミッドナイトは誰が選んだかすぐに察したようで、相澤と心操にいくつか話を振った。
「昨日はなんだったんだ」
雑談を終え席に戻った相澤は隣に座ったマイクに尋ねた。爆発音と共に電話が突然切れた後、しばらくして『でかい音で工事やっててびっくりして携帯落とした』と事情を説明するメッセージが来たが。
「あ~…局で打ち合わせして帰る途中に郊外歩いてたら工場の解体工事か何かやっててさァ」
夜中に迷惑な話だよな、と言いながらグローブを嵌めた手がワックスで固められたブロンドの後ろ頭を撫でる。相澤はその仕草をじっと見ていた。
「で、お前は何の用だったの?」
サングラスの側面の下で碧の目だけがちらとこちらを見る。急に切り返され、相澤は言葉に詰まった。
「…ちょっと酔っ払ってた。すまん」
「へえ?」
相澤は後悔と共に黙り込んだ。一夜明け、昨日の自分は冷静さを欠いていた、と気付いた。だがマイクは興味が収まらなかったのだろう、まだ何か聞きたそうに相澤の横顔を見ていた。しかし突如職員室にテレビの大きな音量が満ちる。
『炸裂ヒーロー、ファイアワークスがヒーロー殺しの新たな犠牲者になりました』
給湯器で注いだ紅茶を片手にチョコレートを摘んでいたミッドナイトが席を立ち、職員室前方のテレビの音量を大きくしていた。角が片方かけた壮年のニュースキャスターは沈痛な表情で、昨晩起こった事件を詳しく取り上げていた。事件場所は雄英から百キロ離れた二つ隣の市だった。
「零時? いつも二時過ぎてからなのに今回は随分早い時間に出没したのね」
「イカれた奴に大したセオリーはないんじゃないスか…」
どこかで聞いた台詞だ。席を立ちマイクがミッドナイトの隣で共にテレビを見始める。画面では、ヒーロー殺しの新たな犠牲者になったファイアワークスの生前の映像が映る。
花火職人でもある彼は蛇腹状の百連花火を操り、その爆発までの時間や火花の大きさや色を自在に操ることができた。大抵の敵は彼が放つ花火に拘束された時点で降伏するが、戦闘時に上がる大小の色とりどりの花火は人目を引き、海外のヒーローマニア達にも絶大な人気があった。
他の犠牲者と同様に首を狩り取られた彼は郊外の空き地に倒れていたという。彼は死に際、襲撃を知らせるために大型の花火を打ち上げたようだ、とキャスターは伝えた。
画面が切り替わり、『視聴者提供』のテロップが表示された夜空に赤い火の輪がぱっと広がる映像が流れる。闇夜に沈んでいた民家の屋根群を照らす明るさ。
ドン…という音が相澤の耳に反響した。
「明日の卒業式についてちょっと会議をするから皆来ておくれ」
校長の明るい声が相澤の思考を遮断した。
◇ ◇
雄英の卒業式ではヒーロー科の生徒はヒーローとしての正装であるコスチュームで出席する。担当教員もしかりだ。
前日の会議で打ち合わせたとおり、静かな体育館で壇上に立った小さな校長は『ヒーロー殺し』がまだ捕まっていないことを挙げ、重々気をつけるよう話し、最後には明るく卒業生を励ました。卒業式を終えた後は、保護者を含めた懇親会、生徒からの個人的な相談、感謝…教員が一年で最も忙しい3月初旬の一日を終え、夕方一息吐いた相澤はそのまま怒濤の勢いで教員達の打ち上げに連れて行かれた。
「イレイザーの奴泥酔してるな…」
ブラドが見下ろす居酒屋の大座敷端。このチェーン店のマスコット「とっくりくん」という徳利に顔が描かれただけの簡素なキャラクターの置物を抱きかかえ、相澤は寝入っていた。その手前のテーブルには、先ほどまで本人が傾けていた日本酒の徳利が三本散乱している。
「担任を外れることになって緊張が解けたのかしらね」
「普段ジントニックの奴が羽目を外すとこれだ…全く」
わざわざカウンター内の店主のところに趣き酒瓶を選んでいた背中を思い出し、ブラドは溜息を吐く。ヒーロー科で共に担任を持ち、度々ライバル心を燃やしたこともある。春からは担任を一時離れる相澤の胸中はブラドにも察しが付いた。
「送っていくか…」
「あらマイクが妬くわよ」
ブラドの呟きにミッドナイトは愉しげに微笑むと、反対側の端で校長の長話に付き合っていたマイクを呼んだ。他の職員を器用に避けながらやってきた男は状況をすぐに察したらしい。
「センキュー姐さん、ブラドも。珍しく初っぱなから日本酒抱え込んでるからヤベー予感がしてましたよ…」
「担任お休みで寂しいのね、きっと」
「骨の髄まで教師ですからね…」
マイクは自分の分と相澤の分の飲み代をミッドナイトに渡すと、抱きかかえていた大きな徳利を取られむずがる体の脇に腕を通す。そのまま立たせようとしたが、足腰に力が入らないのか、相澤は座敷の上でぐにゃりと座り込んでしまった。
「もー、しょうがねえな」
マイクは相澤を背負って立ち上がる。あら可愛い、とすかさすスマートフォンでパシャリと収めるミッドナイトと、それを真似てパシャパシャと音を鳴らすオールマイトほか上機嫌な酔っ払いたち。マイクは苦笑し、今度本人に見せて反省させてやってくださいヨ!と一同に言うと、自分の代わりに校長に捕まった心操を呼んだ。
「心操。立派なお師匠に靴履かせてやって」
心操はすぐに駆けつけると、座敷の入り口に密集する靴の中から少しくたびれたブーツを探し、相澤の足に履かせてやる。
「俺も行きます」
「いいよ、俺一人で十分。お前はゆっくり飲んでな」
「…はい」
心操が離れ、マイクは慣れた様子で相澤を抱え直すと、見送る店員に小さく会釈をして店を出て行った。
「すぐ大通りだからタクシー拾えるか…」
店を出たマイクは辺りを見渡して呟く。左を向けば視線の先に車通りの多い大通りが見えた。
「いま車に乗ったら吐く…」
「お、お目覚めか。飲み過ぎだぜ全く…この間俺を裸にひん剥いた反省が生きてねーな」
マイクの軽口に、わるい…と小さな低い声が返るが、声はいつにも増して覇気がない。
「タクシーをゲロまみれにする訳にはいかねーしなあ…」
少しこのまま風に晒してやるか。幸い、3月初旬の風は心地よく涼やかだった。マイクはあまり揺らさないよう気をつけながら、大通りとは反対の商店街の奥へ足を向けた。いくつかの居酒屋が灯りを点すほかはシャッターが無機質な表面を見せるだけの侘しさ。深夜の商店街はひと気がなく、等間隔のライトが地面の薄茶色のレンガ敷きを照らしていた。あてもなくゆっくり進むマイクの足は路地へ入る。
「マイク…」
「ん?」
言葉は続かず沈黙が返る。相澤の鼻先はスピーカーの後部を包む黒革の襟にぽさりと埋まっていた。全体重を預ける力の抜けた体。酔った相澤が平素ないほど無防備で、どこか甘えたになるのをマイクは知っていた。
「どうした?」
「……なあ、おまえ」
ろれつの回らない、どこか幼い口調。マイクは甘く目元を蕩かせ、なに、と促す。
「すきなやつ、…いるのか」
黒革の襟に口元を埋めたまま、どこか拗ねたようなくぐもった声。一昨日電話で聞いた問いをまた繰り返され、マイクは笑った。
「ハハ、何?!この間から。そんなホイホイ好きな奴できないって…彼女とこの間別れたって言ったろ」
「おまえは男もイケるのか」
予想外の切り返しにマイクは一瞬黙り込んだ。会話のキャッチボールをする気が無いのか相澤は木訥に問いを続ける。
「心操のことどう思う?」
「……はァ?」
こいつ何か勘違いしているらしい――瞬時にそう気付いたマイクは溜息を吐く。さてどう答えてやろうかな、と考えながら吸い込んだ夜の湿った空気に微かにかぐわしい甘さが混ざった。視線をやれば左手に川辺が流れ、その両側に桜が咲いていた。
「心操のことは小憎たらしいくらい優秀で、かわいい後輩だな、としか思ってねェよ。あいつを恋愛対象に?ないない」
「本当か?」
「本当だっての。あいつ相手に勃たねーよ」
相澤は言葉の真贋を測るようにしばらく黙り込んでいたが、…ならいい、と会話を終わらせた。相澤がなぜそんな誤解をしたのかマイクには皆目見当も付かない。酔っ払いはこのやりとりも明日にはけろりと忘れているのだろうが、と僅かな徒労感に包まれながら。
なあ、桜咲いてるから見ようぜ…そう言いかけた気の抜けた首元、指向性スピーカーと顎の間の素肌にひたりと何かが触れた。
「次の質問だ」
先程とは違う、はっきりとした闇を這う低い声色。首に回ったのはこの男が敵を捕縛する時に使ういつもの武器だった。
「一昨日の夜どこにいた?」
一音一音、問いの重さを表し克明に発せられる声。先ほどの舌ったらずな口調が嘘のようだ。夜風を縫う緊張の糸に、マイクはハッと乾いた笑いを漏らす。喉の上に回された捕縛布は相澤が引けば簡単に締まるだろう、瞬時に意識を落とすことができる武器だ。
「酔っ払ってたんじゃなかったのかよ?」
「店主に頼んで徳利には水を入れて貰ってた。妙な顔をされたがな」
「なーるほど」
鼻をひくつかせれば、確かに相澤からは酒の匂いがしない。元々飲んでも顔色があまり変わらない男なので、今日もそうだろうと安易に考え油断していた。お前案外演技できるもんなんだね、とのんきな一言を漏らすと、捕縛布が静かに圧を強めた。
「質問に答えろ。一昨日の夜、俺と電話していた時どこにいた」
「山吹市。…ファイアワークスが襲撃された市だな、ちょうど」
「お前は現場付近にいた。あの爆発音は解体工事の音じゃない、ファイアワークスの放った最期の警報だった」
「…イエス」
街灯の少ない川辺は生き物が死に絶えた世界のように暗く、鈍色の水だけがひそやかな音を立てて流れていく。夜空に白く浮かぶ桜が唯一の灯りだった。しかし相澤は花に見向きすることなく、両眼を静かに光らせたまま問いを重ねる。
「大和市で『ヒーロー殺し』が出た夜もお前はその場にいた。そうだな?」
「イエス」
マイクがΩ女性との密会を撮影された日。その近くで一人のヒーローが命を落としていた。相澤がマイクの家で飲み明かしたあの一夜も、ちょうどその近くで。過去のニュースの日付と場所を付き合わせるだけであまりにも簡単にひとつの推察が浮かび上がってしまう。相澤はマイクを信じたかった。だが無関係ならなぜあれは解体工事の音だったと嘘をついたのか? なぜそんな下手な嘘を? 説明がつかなかった。
マイクは立ち止まり、相澤の問いの続きを待っていた。はるか向こうまで続く桜並木を見ているようにも見えた。陰に暗く塗られた新月のように、その顔は見えない。相澤は手の中の捕縛布を握りしめ、尋ねた。胸が窒息しそうなほどに重い。
「『ヒーロー殺し』はお前か。マイク」
静寂の隙間を夜風が抜けていく。マイクはイエスともノーとも答えなかった。
「ポケットから俺の携帯出してくれね?」
代わりに返されたのは予想外の言葉だった。
相澤は戸惑った。マイクが仲間を呼ぶつもりかも知れないという警戒がよぎった。仲間、もはやこれは雄英教師陣やヒーロー達のことではないだろう、と。身をこわばらせる相澤にマイクは諦めたのか、背負う体重を少し傾けると自分のポケットに手を伸ばす。
「はい」
警戒感で肩を張る相澤に、軽い調子で渡される画面の大きい白いスマートフォン。まるで、『今朝お前好みの可愛い猫チャンがいたぜ』と写真を見せられる時と同じように、何でもない様子で。
「画像フォルダ開いて一番最近の動画再生して」
相澤にはマイクが何をしたいのかが分からない。だが指は仕方なく再生マークを押す。
「…?」
本当に再生が始まったのか? と思うほど画面は真っ暗だった。だが再生バーは徐々に進行しており、残り13秒と表示している。ドン、と突如聞き覚えのある爆発音がした。火薬が弾けた音が聞こえ、赤色の光が明滅する。動画はどこかの空き地を横から映しているらしかった。
光が消える瞬間、一人の小男が空き地から飛び出してくる。フードを被った彼は道に出ると、そこに出現した黒い渦に飛び込み姿を消した。
「ヒーロー殺しは俺じゃないよ。こいつ」
マイクの言葉に相澤は眉をひそめ、もう一度動画を再生する。小男はバスケットボールのようなものを手にぶら下げていた。人の頭部だった。
目を懲らし動画再生を繰り返していた相澤の脳裏に、突如走るひやりとした感覚。『小男』…なぜフードを被っているのに自分はすんなりと男だと思ったのか? 暗闇の中走り去る彼のフードの脇からまっすぐ切りそろえられたオレンジ色の前髪、高い鼻先が一瞬垣間見えた。
「…透山明」
ぽつりと零れた名前に、マイクが頷く。
「そ…お前が昔除籍した生徒だ」
透山明、ヒーロー名は『インビジブルハンド』。小柄な体躯から睨み上げてくる両眼が、相澤の脳裏に鮮烈に残っていた。
相澤が十年ほど前に受け持ち半年で除籍した青年で、彼はその後別の学校のヒーロー科に編入しプロになっていた。今年のビルボードチャートでは31位だったと記憶している。
『★インビジブルハンド、悪敵を5秒殺★』。彼がネット上に投稿していた動画のタイトルは確かそうだった。カンフーヒーローの一件を受け、相澤が先日ネット上の若いヒーロー達の動画をザッピングした時に目にした。
廃工場を背景に白いヒーロースーツをまとって佇む透山、風に靡くオレンジの髪。彼に襲いかかったヴィランの男が突如動きを止め、振りかぶったナイフを落とす。透山が微動だにせずにいるのに、ヴィランが苦悶の表情で目を見開き、倒れ伏す様は何かの手品のようだった。アップで映る透山の薄い笑み。最後にインビジブルハンドの横顔をバックに、『制圧タイム:5秒』と赤い大文字が表示され、彼のフォロワーらしいネットユーザーからの喝采のコメントが乱舞する。そんな動画を、彼は数え切れないほど投稿していた。
「動画の投稿ペースは若手で一番じゃねえの?すげー執念だよな…」
インビジブルハンドこと透山明の個性は、宙に浮かぶ見えない両腕で相手を攻撃できること。その腕の力は雄英の入試で巨大ロボットの腕をねじ切った程に強く、最大三十メートルまで遠隔で操ることができた。強力な個性。しかし相澤が彼を除籍にしたのは、彼がその個性を悪用し期末テストで自分より成績のいい同級生の戦闘を密かに妨害しようとしたためだった。つまり彼にはヒーローとしての資質がなかった。
個性を悪用し、闇に潜んでの奇襲。トップヒーロー達がいとも簡単に殺されていた怪奇には確かにそれで説明がつく。首を絞めれば人間は短時間で死に至る。首を切断し持ち去ったのは捜査を攪乱させるカモフラージュだったのだろう。
「だが…何故だ。どうして殺人なんか」
相澤は暗澹とした気持ちで呟いた。
「上位のヒーローが消えれば自分の格付けが上がる、そんだけだろ」
「…お前はなぜ彼だと気付いた、マイク」
「お前が除籍した奴は俺もちゃんと覚えてるよ、個性も人格もな。事件のニュース見て透山が怪しいなと思ってしばらく行動を監視してた…で、やっと証拠を掴めたってわけ」
相澤が握っていた捕縛布がたゆむ。力が抜けた。除籍をしたとはいえ元教え子が人を殺めていたという事実に。
だがそれ同時に、凍てついていた心臓にいやしく生温かい血が一気に流れ込む。
「…つまりお前は、ヒーロー殺しじゃない、ってことか」
ほの白く暗闇に照る桜の花々が静かに二人を見下ろしていた。茫然と口にした相澤に、マイクが微笑む気配。
「そ。俺はヒーロー殺しじゃない」
マイクの言葉が麻薬のように染み入り、相澤の脳を弛緩させる。昨晩眠れなかった疲労がどっと襲ってきた。気の抜けた相澤の頬にひらりと散り落ちた一枚の桜の花びらが触れる。安心せよ、と伝える天女の衣のような柔らかさ。
相澤はそこで初めて、満開の桜に初めて意識を向けた。3月初旬にソメイヨシノが満開であるというのは不思議で、まるで夢の世界にいる錯覚を覚えた。
「ヴィランではあるけどな」
それじゃ気分変えて飲み直そーぜ、とでも言いそうないつもの声色だった。だから相澤はその言葉の意味を即時に認識できなかった。ふわと鼻腔をくすぐる甘い香り。桜ではなく、嗅ぎ慣れた香水だ。暗闇で宝石のように光る碧の眼差し。振り向いたマイクの唇が頬に寄せられ、相澤は動きを止めた。まるで口付けるような仕草だったからかもしれない。
『おやすみ』
やはり温かく低い、いつもの声だ。あまりにも普段と変わらないそれに相澤はなぜか涙が出そうになった。しかしするんと落ちた瞼がそれを塞いだ。
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