Day3
翌日消太が目を覚ますと、『Good morning. ちょっと島に面白いもんがないか散策してくるからお前も自由に過ごしてて』とテーブルの上にメモがあった。
消太は眠いまなこを瞬かせる。マイクには昨日の気まずさもあるのだろう。消太はしばらくメモを眺めていたが、朝食のためにビュッフェレストランへ向かい、にこやかなボーイの勧めを全て断ってパンを一つかじった。
自分の部屋のある離れの別棟に戻る途中、庭の草陰から顔を覗かせた金色の眼に消太は足を止めた。異国にいるはずなのに異国情緒を感じない、赤い首輪を付けた三毛。少し不思議な気持ちになりながら、消太はしゃがんで手のひらを出す。猫はすらりとした手足でためらわず歩み寄り、その手の平に額を擦り付けた。
抱き上げた猫のぬくもりがシャツ一枚を通して消太の胸を温める。宿泊客はもう海やレジャーに向かったのだろう、ホテル内は閑散としていた。手入れの行き届いた高木の隙間から降り注ぐ太陽の光が、サンダルを履いた消太の裸足をまばらに照らしていた。時おりどこかで甲高い鳥の声がふつと沸くだけで、静かだった。あまりにも静かで、落ち着かない。猫を抱いているというのに、なぜか漠とした心もとなさを感じる。
こんな風に何もすることのない日、休日を自分はどう過ごしていたのか?
思い出そうとして、USJの復帰後は多忙で休みらしい休みがなかったことに気づく。それならその前は?USJ以前の休日の記憶を思い出そうとして、ゆらりとモヤが阻む。その先を思い出せない。マイクが、そのモヤがかった以前の私生活に、本当に一緒にいたのだろうか。そう言われればそんな気がするし、違うと言われれば違う気もする。消太の認識はその程度だった。
◇
USJへの襲撃で重傷を抱えたまま退院した日。不自由な体で小さな荷物をまとめた消太は自分の帰るべき住所がどこか思い出せなかった。医師に相談すると、すぐに名前や出自、仕事に関して質問されたが、すべてに問題なく答えられたので結果『頭を打った衝撃で若干の記憶の混乱が見られる。仕事には支障がないだろう』と診断された。その言葉にほっとした消太に、医師は保険証から辿った相澤消太の現住所を紙に書き渡してくれた。
念のため迎えのお友達を呼ぶよ。そう言って医師がマイクに電話したのは、何かあったらかけてくれと当人が連絡先を渡していたからなのだろう。程なくして到着したマイクは消太の無茶に文句を言いながらも小さな荷物を受け取り、傷ついた体を派手な外車に乗せた。
「記憶の混乱ねえ…そりゃあーひでェ怪我だったもんな。俺のこと覚えてるー?」
「お前みたいに喧しい奴できれば忘れたい」
「ヒデェ!迎えに来てやったのに」
軽口をたたき合いながら、十字路の信号待ち。マイクが右にウインカーを出しているのに気づき、消太は医師が書いてくれた手元の住所を見返してから顔を上げた。
「俺んちはそっちだぞ。左だ」
「え?」
「どこ行くつもりなんだ?」
サングラスの向こうの碧色の目が丸く、大きくなる。時が止まったように表情を固まらせるマイクに、後ろの車のクラクションが鳴った。
「…間違えた、ゴメン。もう1ブロック行ってから左曲がるわ」
車は直進へ。マイクは、今思えば『記憶が一時的に混乱している』自分に無用のショックを与えないようとりあえず話を合わせたのだろう。きっと落ち着けば元に戻るはずだ、と信じて。そして恐らく日が経つにつれて、現実が自分の期待から大きく外れていることに気づき、絶望感を濃くしていった。
体育祭後の打ち上げも含め、退院後の数日間はマイクに私生活や恋愛遍歴についてしつこく尋ねられた記憶がある。休みの日なにしてんの、最近誰かと遊びに行った?、お前って恋人いるの?…すべてにおいて、マイクの望む回答はなかったはずだ。
「…お前、思った以上に記憶が飛んでる。私生活のことほとんど覚えてないだろ」
USJ襲撃からしばらく経った後。残業終わりの夜更けの職員室で、マイクがふと告げた。白色灯を受ける黒革の背がなんとなく沈痛な空気を背負っているように見えて、消太は続くマイクの言葉を待たずに答えた。
「そうかもしれねえが…別にそれで何か影響があるわけじゃない。私生活なんて元からあって無いようなもんだしな」
マイクの気遣いに少しの感謝も含めて、心配は無用だという意味で言ったつもりの言葉だった。そして消太は召集のかかっていた仕事が迫っていたので、お疲れさん、と職員室を出た。珍しく、返る言葉はなかった。
◇
キリと痛んだ胸に眉を顰めると、腕の中の猫が不思議そうに消太の顔を見上げた。
消太も退院後の生活を再開する上で、いくつかの違和感にはぶつかっていた。今まで住んでいたはずなのにウィダー一つしかない冷蔵庫。自分の財布に入っていた猫カフェのポイントカードを頼りに店へ立ち寄れば、前回まで毎回二つ押してもらっていたらしい来店スタンプを一つしか押してもらえない。…それを店員になぜかと問い詰めるのはさすがに憚られたので、スタンプの仕組みが変わったのだろうと自分を納得させたが。
しかしそうした違和感が日々襲いくる忙しさを止めてくれるわけでもなく。消太は仕事に没頭し、USJで重傷を負ったことすら完全に頭の外に抜け落ち、三ヶ月が経過した。その実感から言えば、時々休日にひとり猫カフェに行って家で寝袋にくるまって寝ていた位であろう自分の私生活を忘れたことなど、どうでもいいことだった。仕事が9割、私生活が1割。その1割すら持ち帰りの書類仕事に侵食されている位なのだから、と。
猫が、道に突っ立ったまま微動だにしない消太を見上げニャアと鳴いた。退屈なのだろうか。
「…どこに行きたい?」
猫にたずねても答えは返らない。丸い金色の目は話しかけた人間の言葉を解読しようと試みるようにじっと見上げていたが、やがて諦め興味を失った様子で視線をそらし、消太の腕の中に顔を突っ込んだ。
どこに行きたいのか?仕方なしに自問するが、頭に浮かぶものはない。消太はけだるい瞼をゆっくりと瞬かせると、向こうに見えるホテルの入り口に向かう。中庭を抜け、石造りの階段を上ればフロント、そこを抜ければ外へ出る大扉があった。Tシャツにスウェットという、日本で言えば近くのコンビニに行く程度の寝ぼけた格好の消太にドアマンは顔色ひとつ変えることなく、グッモーニン、ハブアグッデイ、と綺麗に整った歯を見せた。
ドアを抜ければ右手に海が見える。砂浜にすぐに出られるよう客室棟が低地に建てられているのに対し、フロントと入り口は最も高い位置にある。そのためホテルを出れば堤防越しにエメラルドブルーの海が見下ろせた。朝食ビュッフェで見た家族連れが砂浜で遊んでいる姿が小さく見える。
寝癖でカーブを描く前髪を、生温かな風が撫で、散らしていく。波の音に、誰かが遥か遠くではしゃぐ声が時おり混じる程度でやはり静かだった。堤防に腰掛ければ、見知らぬ日本人の腕の中にいることも忘れたのか、猫はいつの間にか寝入っていた。消太はその姿を見下ろし、口元を緩める。何者にも囚われず、これが最良の幸せと言わんばかりにのどかに時を過ごす姿を羨ましいと感じた。自分もそうであったはずなのだが。
(あいつの泣き顔なんて初めて見たな…)
いつも愉しげにくるくると回り、時に人を食ったように細められる表情豊かな目が昨晩はまるで触れれば割れる薄いガラスのように頼りなかった。恋仲に戻るのは無理だと言ったのは自分だが、泣かれることまでは想像していなかった。自分がこうして動揺するのも。
(まあ、バツが悪い、っつーことなんだろうな…)
山田ひざしは大事な友人だ。当然泣いている顔は見たくない。しかし望みを受け入れることはできない以上、自分にできることはなく、この苦い矛盾は静かに飲み込むよりほかなかった。
ドッと近くで鳴るエンジン音。腕の中の猫が耳を震わせ、顔を上げた。
「可愛いネコちゃんが二匹」
ハーフヘルメットを被ったマイクが黒い飾り気のないバイクの上で金の髪をさらさらとなびかせていた。アイドリングするエンジン音に昼寝を邪魔されたのが気に入らなかったのか、猫は消太の腕の中をすり抜けて行ってしまう。
「…逃げた」
「気ィ利かしてくれたんだろ。乗らね?」
「借りたのか?これ」
「うん。250ccだけど」
揃いのハーフヘルメットを被り、マイクの後ろに乗って島の北端から東端へ。視界の両端をエメラルドの木々が踊りながら流れ、風が心地よかった。やがて途中で島で一番の繁華街らしいエリアに入る。高級ブランド、免税店、カフェやレストランの並ぶ華やかな通りでは、果物を売り歩く島民や、水着の上にシャツ一枚羽織っただけの観光客がのんびりと歩いていた。
「…なんで今まで言わなかったんだ?」
聞こえなければそれで構わない、という程度の声量で消太はふと尋ねた。エンジン音と風の混ざり合う音に紛れてしまうかに思えたその問いを、前の男はきちんと拾った。
「付き合ってるって?」
「そうだ」
マイクは少し黙っていた。けたたましい安いエンジン音が風になびく髪と消太の耳の間をすり抜けていく。
「お前が混乱するだろうなって思ったし…勝算がなかったから」
色々探ってみたが、自分に友人以上の感情を持っていると思えなかったから、ということなのだろう。事実を告げて告白し、玉砕し、その出来事が日々の忙しさに塵のように流されてしまうことを恐れたらしい。
「まあ結局フられたけどサ。…そのうち思い出すかなって賭けてた部分もある」
島一番大きな市場では地元民や観光客が行き来していた。ある者は頭のない鶏一匹を片手でぶら下げ、ある者は薄いビニールが破れるほどに南国の果物を詰め込んで。
「なんか買うのか」
「そ、キッチンもあるし今日の夕飯は自炊しようかと思って。そろそろ外食飽きたろ?」
マイクは答えながら広い市場を見回し、手近な野菜の店で積み上がった芋の一つを取って物色する。
「大したもん作れないぞ俺は」
「俺が作るから大丈夫。消太はチャーハンが超うまいけどな。あとはチキンラーメン…あ、卵焼きも焼ける」
「たまごやき」
「うん、甘くない塩味の。焦がさないし形も綺麗に巻けてる。俺が食べたいって言うとたま~に作ってくれる」
四角いフライパンみてぇな卵焼き器あるじゃん、あれに菜箸持って…眠そうな顔で作るけど手際はいいのな、火加減ぜったい間違えねー…と語るマイクの横顔は店頭の野菜の山ではなく、キッチンに立つ猫背の思い出に占められているらしく、どこか楽しそうだった。消太には卵焼きを作った記憶はなく、自ら進んで料理をしようなどと思ったことはない。
黙り込んだ消太に気づいたマイクは微笑み、奥にいた野菜商の女に声をかけた。
「中国人が結構住んでるからかな、日本っぽい食材も揃えがイイ~」
ソイソース、と現地の言葉で書かれている醤油の入った瓶を小銭と引き換えに受け取ったマイクは、機嫌がよさそうに呟いた。両腕は食材や調味料の入った大小の買い物袋でいっぱいだ。消太も片手に皮の剥かれた鶏一羽を抱えている。
「お前マジで捌けるのか?これ」
消太が腕の先の、四本指の両足が力なく垂れ下がった小体をぶらりと揺らすと、マイクは口元を引きつらせ、シュア…ドンウォーリーノープロブレム、と答えた。目がそれを直視せず左上に泳いでいるところを見れば全くノープロブレムではなさそうだったが、本人がやると言っているので消太は任せることにした。
「ほかに何か欲しいモンある?」
市場の出口に体を向けたマイクが消太を振り向く。夕方に差し掛かる日差しが地面を照らしていた。
「たまご」
「へ」
「…たまご買っていいか」
◇
マイクはホテルに帰ってくると、髪をひとつにくくり、料理の支度に取り掛かった。消太も野菜の皮むきやカットくらいは手伝おうとその隣に立つ。キッチンには十分な調理道具が一式揃っていた。ガラスのまな板の上で電灯を浴びるジャガイモは日本で見るより細長く、くねりと婉曲を描いていた。
「どう切る」
「四等分。面も取ってくれるか?」
料理をするのはいつ以来か。実家の母はうまかったがあまり手伝った記憶はない。しかし手先が器用な消太にとって野菜を剥いたり切ったりすることは苦ではなかった。最難関は味付け。すべてを塩一つまみで済ませて許されるならもう少し料理をする人間だったかもしれないな、と思う。
「OKセンキュー。あと俺やるから適当にくつろいでて」
マイクの言葉に、ん、と返してソファに座る。なんとなくテレビをつけたもののここは異国だ。見知らぬ芸能人が映り、笑っているが何を言っているか分からない。途中でCMに切り替わり、チップの山に囲まれたルーレットが回る映像が流れた。カジノのCMのようだった。
日本にはカジノがないので消太がこうした類のCMを見るのは初めてだったし、まだ子供も起きているはずの夕方にこうしたものが平然と流されていることに少し違和感を覚えた。観光産業だけで成り立つこの島ゆえかもしれない。
鼻先になつかしい、醤油の匂いが流れ込む。砂糖も混じっているのか、どこか甘いふくらみを含んだ香りだった。まだ日本を離れて三日目だが、ずいぶん久しぶりな気がした。自然と、消太の口の中が唾液で湿る。
「消太、ちょっと俺の手を握ってくれねーか…」
唐突にソファの後ろから顔の横へ手を差し出され、何だと思いながらもマイクの必死な表情に仕方なく片手で握る。
「もっと両手でギュっと」
「…こうか?」
見ればマイクの腕には鳥肌が立っていた。握られた自分の手に祈るように額をつけ、一瞬で終わる、一瞬で終わる、一瞬で終わる、と念仏のように唱えている。
「鶏なら俺がさばくぞ」
「ドンウォーリー!いいの!俺が消太に飯作りたくて買ったんだから。お前への愛をかけてやりとげてみせるぜ…」
顔を覗きこまれキリとした表情で言われたが、鳥肌が収まっておらず説得力は乏しかった。本当に大丈夫なのか、と消太は思ったが、マイクは、うしっ、とよくわからない気合いの掛け声を発し、キッチンに向かって行った。その後アウチ、アー、うそ、ゲェ…と悲痛な声が聞こえたが、本人がああ言ったので消太はただ黙って任せることにした。
続いてパチパチと油が弾ける芳ばしい匂い。揚げ物ならばすぐに仕上がるだろう。消太は鼻腔から入る匂いに胃がぐうと縮むのを感じながら、立ち上がった。
「隣使っていいか?」
「お、うん」
コンロは三口あり、マイクが鍋を置いているのは左端と中央だ。消太は右のコンロにフライパンを置いた。
◇
電子レンジから取り出したレトルトご飯パックのフィルムを開くと、熱々の湯気がリビングに広がった。東アジアの観光客向けに箸を据え置いているこのホテルもさすがに茶碗まではなく、白い陶器の手のひらサイズのボウルに柔らかい白飯をうつした。
「…準備がいいな」
自分がボストンバッグ一つで来たのに対し、マイクが人を一人詰められそうな大きなスーツケースで来たのを思い出す。
「消太ご飯が好きだからさー。九日間もいたら食いたくなるだろうなーって2パックだけ持ってきた」
この南の島でも米は食べられるが細長く水分の少ないインディカ米が主だ。レトルトご飯といえども、米に世界一こだわる民族である日本人が日本の米を使って作った製品がおいしくないわけがない。消太の目の前に置かれたボウルの中で湯気を立てるつやつやとした白飯は甘みを含んだ粘りを持ち、柔らかな粒の連なりに箸を入れられるのを待っていた。
消太はさらにテーブルの中央へ視線を移す。こっくりと飴色のダシが染み渡った一口大のジャガイモ、薄切りのたまねぎ、牛肉。この島で食べられるとは想像もつかなかった、マイクが作るには顔に似合わないにも程があるぞと突っ込みたくなる、日本の家庭料理の定番、肉じゃが。その魅力的な山の上を、インゲン豆の代わりなのか現地の緑の小豆が散り、彩っていた。
さらにその隣の大皿にはまだ芳ばしい揚げ油をまとい、ジュウと衣の表面から肉汁を滴らせるから揚げ。マイクの命を賭した戦いの結果が見事こんがりと色濃いきつね色に仕上がっていた。
「両方とも消太の好物だろ?」
味が染みているのに煮崩れていない芋は歯を立てればゆっくりと形を崩し、ダシの甘塩っぱさとともにねっとりと舌の上で豊満な味を広げた。から揚げは外側はかりっと揚がっているが肉に触れる衣はしっとりとしてうまみを吸い、隠し味の生姜が香る。肉汁がジューシーに溢れていた。
「うまい。ありがとう」
「イッツマイプレジャー」
お前を喜ばせるのが俺の喜びだから、と英語一言で返しニッコリと笑って首を傾けるマイクは、最近飲み歩いてばっかで飯作ったの久々だったけど失敗しなくてよかったぜ、俺天才、と上機嫌に言った。
「俺も頂いていーい?」
「ああ」
マイクが箸を伸ばした先には焦げ目のない綺麗な黄色の卵焼き。ぷると箸先を受け止め静かに割れていくそれは、中まで程よく火が通っていた。うまい、最高、と喜ぶマイクに消太の頬もわずかに緩んでしまう。今まで作った記憶がないので軽くスマートフォンで作り方を調べてから臨んだが、火加減や巻き方は勘が残っているのか不思議とスムーズに出来た。
この三ヶ月で一番うまい飯のような気がした。消太が言葉も忘れ箸と口を忙しなく動かしている様をマイクはじっと見つめ、自らも箸を動かした。消太は食べるのが早い方だ。久しぶりに沸いた食欲で大盛りだった白飯はあっという間になくなる。最後の一粒を箸でつまんで丁重に口の中に収め、息をついた。胃も心も満たされた食事に感謝し、使い終えた箸をそっと揃えて置く。そして口を開いた。
「…慰労旅行って嘘だろ」
「まあなー…俺が校長に事情を話して十日間の離任を懇願した。記憶を失ったことに気付かず馬車馬みてーに働くお前に同情してくれたらしい。すぐ許可は下りた」
それで合点がいく。不自然に豪華すぎる慰労旅行も、『ハネムーンルーム』という薄ら寒い部屋に男2人で泊まることになった経緯も。
「ここはお前が選んだ、そういうことだな」
「そう」
校長のポケットマネーというのも嘘で、マイク自身がここを選び、支払っているのだろう。どういう計画なんだ?話せ、と問えば、尋問みてーだな、と苦笑が返った。
「この三ヶ月、俺なりに手を尽くしたけどお前の記憶は戻らなかった。…だから最後の手段ってこと」
「もう少し具体的に話せ」
「……することシたら恋人だったこと思い出すんじゃねえかって。つまり…あれだ、」
「ヤる」
口ごもっていた言葉を先に言われ、マイクが箸をくわえたまま、ウンそう…と頷く。消太には想像のついた答えだったが、あえて考えないようにしていたことだった。
「すまねえが俺はお前に勃たない。諦めてくれ」
「いや、消太が勃つ必要はないっちゃないっつーか…ンン、まあとにかく。そう言わずに可能性にかけてみねーか?お前を気持ちよくさせる自信は超ある」
「お前とダチの境は越えられねーって話だ。言ったろ」
「ンなこと言わずにサ。世界を広げると思って、さ、先っぽだけでも…」
「ダメだ」
そもそも食卓で話す話ではない。消太の頑とした態度にマイクはうな垂れる。
「…でも、友人として、この旅行の間中はお前の恋人探しを手伝ってやる」
「へ?」
マイクが顔を上げるとまっすぐ自分を見つめる瞳にぶつかる。一見感情がなさそうに見えるが、マイクが昔からよく知る、どこか優しい目だった。
「お前とヤるのは無理だ。が、代わりにお前が覚えてる限り思い出話を聞かせてほしい。何か思い出すかもしれない」
自分も折れることはできないが、友人であるマイクの気持ちも少し尊重してやりたい。消太なりに考えて出した答えだった。もし記憶が戻れば、マイクの恋人である自分も帰ってくるのだろう。それが互いの人生にとって最良の選択かはさておき、マイクの必死さに心動かされたのは確かだった。
「ただし協力できるのはこの旅行の間だけだ。帰国までに何も思い出せなかったら未練は燃えるゴミにでも出して以降はダチとして接してほしい」
「…オーケイ」
◇
「で、なんでこの距離なんだ」
ベッドの上で身を寄せられ、消太はうんざりした口調で突っ込む。
「記憶を呼び起こすためには脳にいろんな刺激が必要じゃん?俺の体温がそばにあったほうが思い出しやすいだろうし」
「ヤらねーぞ…」
「OKOK。くっついているだけ」
マイクはそう言って、さて何から話すかな、と頭をめぐらせる。
「雄英入学当初の話から始めようか…俺と消太は最初すげー仲が悪かったの」
「その記憶はある。授業で競り合って体育祭でぶつかって俺が勝った…けど、それ以上深く思い出そうとするとモヤがかかっちまう」
「OK」
――俺は中学まで成績トップで、雄英に入るべくして入ったって自分でも思ってた。けど入試のときから派手な個性でもないのに身のこなしのすげーやつがいて、入学式でやっぱりそいつがいた。式の後、自己紹介がてら先生相手に組み手して個性を披露したんだけど、やっぱそいつすごくてさ。気がついたら組み手が終わって誰とも話さずスンと座ったお前の顔から目が離せない。で、俺は決めたの、こいつを3年間のライバルにするぞって。
「正直ほかの奴なんかアウトオブ眼中だった。俺は三年間のライバルになる予定のお前に名前名乗って、お前すげーな、俺山田ひざし、よろしくな!って挨拶したワケ。可愛いだろ十五の俺。で、お前どうしたと思う」
「無視した。それはなんとなく覚えてる」
「イグザクトリー!超~~無愛想でさ!」
「青春漫画ごっこが滲み出てたんだろ、そんな奴いま会ってもめんどくせえ……友達作るにしてももうちょっと他に選択肢があるだろ」
「ないない消太の友達は俺一択だったのヨ。消太が無愛想だった理由は他にあるんだけど、とにかく!ここから俺と消太のイチャラブなスクールライフが始まるわけ」
「人の記憶がないからって勝手な脚色するな」
――毎日仲良く小競り合いしながらとうとう決着をつける時が来た。体育祭だ。結論からいうと一年の時は俺の負け。体力と策略は俺の方が勝ってたけど、お前の精神力に負けたって感じなんだろうな。けど2人とも熱くなりすぎて試合が終わってみれば怪我だらけ、個性使いすぎてお前は目、俺は喉を使うことにドクターストップがかかった。俺は喋れない状態だったけどライバル…っつうかもはや戦友だな、戦友のお前の家まで見舞いに行った。お前は部屋のベッドで横になってた。目は包帯でぐるぐる巻き、耳は俺のヴォイスで鼓膜破れてほとんど聞こえない。
「で、どうしたと思う?俺とお前はどうやってコミュニケーション取ったか」
「…わからん。無理じゃねぇか?筆談もできないだろ」
マイクが純白の羽毛布団の中で消太の手を掴み、シーツを滑って消太の顔の前に持ってくる。
「こうやって」
指が手のひらに落ち、何かを綴るように滑る。一瞬目を見開いたが消太は開かれた手を閉じることもできず、結局微動だにせずそれを受け入れた。マイクの指は形のいい爪にルームランプの光を乗せたまま滑り、温度とくすぐったさを消太の手のひらに残していく。むずりと皮膚の上を微かに走る感覚。一体何を綴ったのだろう、この不便で子どものような伝達手段で――消太が辿れない記憶を辿ろうと微かに眉を寄せていると、マイクの手がすっと離れた。
「今日の思い出話はこんくらいにしとくか」
マイクはそう言って消太の手を握ったまま、ベッドの中に引き込んだ。しかし指は絡み合ったままだ。
「…もう離せ」
「俺に主導権をくれんの?」
別にそういう意味じゃない、と答えようとした消太のうなじに唇が触れる。黒髪の間から露出した肌をぬるい息遣いが遠慮がちに撫で、ゆっくりと離れた唇が今度はもう少し上、うぶ毛が細く柔らかに肌を巻く生え際へ痕をつける。握られている手は、手のひらを合わせたまま、時おり指が擦れ合う。
「何もしないんじゃなかったのかよ」
「お前が嫌ならセックスはしない、って言っただけ」
セックス以外の可能性は残した含みのある言い方。もう一度、うなじに唇の熱が触れる。マイクがシーツの上から静かに顔を浮かせた気配がした。キスはそろりと耳の下へ。そして頬へ。引き結ばれた唇に向かう軌道を描いたそれは、その寸前で離れた。
「…おやすみ」
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