こぐま澤
同イベントで澪さんのリクエストで書かせて頂きました!
「あぁーーーさみぃっ」
絶叫寸前で山田はマンションの自分の部屋に駆け込んだ。真冬、深夜の氷のような空気が追いかけてくるのをドアを閉めることでシャットダウンする。玄関も寒いが、暖房の効いた室内の空気が微かに充満しているのでいくらかマシ。山田は感覚のない指先をすり合わせ、極寒の戦地から生還した戦士のようにハーーーー…と溜息を吐いた。その足元ではふっさりとした毛に包まれた三頭身の小さな生き物…こぐま澤が、てしてしと二足歩行で歩いていく。山田も脱ぎにくいブーツを急いで脱ぎ、こぐまの後を追った。二人が目指すは暖房の前。
「はァー…生き返る…」
ストーブを点火して真ん前に座ると、冷えて滞っていた体中の血が巡りだす。こぐま澤もその隣でホットカーペットに顔を押し付けくったりとしていた。
「ショータ…ホットミルク飲む?」
山田の問いかけにこぐま澤は反応しない。ストーブで自分の毛皮を炙るのに専念している。本来熊は冬になると冬眠してしまうので、生態の自然に抗っているのかもしれない。…こぐま澤が熊と同じ生態なのかはあやしいところだが。
山田はずっとストーブの前にいたい気持ちをなんとか振り払いキッチンに向かうと、小鍋に牛乳を注ぎ込みコンロの火をつける。小さな火がとろとろと牛乳をゆっくり温めてくれている間、ふと壁掛け時計に目をやると午前2時過ぎ。いつもと同じ時間、習慣。人の寝静まった深夜、近所の神社跡地の空き地にこぐま澤を散歩に連れていき、帰ってきてストーブの前でとろけてからホットミルクを飲んで寝る、というがルーティーン。こぐま澤が熊なのかは未だにわからないが、ギリギリ熊っぽい見た目であるため、近隣住民を驚かせないよう人目を避けるとこの時間になるのだった。近所には「こぐまちゃん」と寄ってきてはりんごやバナナをくれる優しいおばあさんもいるが、誰しも快くこの存在を認められるわけではないだろうから。
「できたぞー」
ショータ専用の皿に少しぬるいホットミルクを注いで、ストーブの前で微動だにしない生き物の横に置いてやる。やがてこぐま澤はのろのろと起き上がり、ピンク色の舌を覗かせてミルクを舐め始める。食事を終えるとこぐま澤は毛皮のどこかに隠していたらしいどんぐりを山田に差し出してきた。ころり、ころり、と今日は少し湿気た小さな実が二つ。ありがとな、と受け取ると、満足そうにまたストーブの前で丸くなる。
「…早く秋にならねぇかな」
秋が過ぎさったばかりなのに、気が早い話だが。秋はこぐま澤の大好きな季節なのだ。草木の茂った神社跡地に、どんぐりが山ほど落ちているのを見た時のこぐま澤の目の輝きといったら。眠そうな無表情は相変わらずだが、山田にはこぐまのハートが躍っているのがわかる。熟練の職人のようにせっせとどんぐりを拾う忙しそうなちいさな背中を眺めるのが、山田は好きだった。秋の間、毎日片手では抱えきれないくらい渡された肥えたどんぐりは、テレビの横にある横長の木製タンスの上に並べている。艶々とした、こぐま澤のせいいっぱいの功績。虫が出てきて山田に悲鳴を上げさせたものはちょっとだけ捨てた。
こぐま澤はこぐま的な見た目をしているもののどんぐりは匂いを嗅ぐくらいで食べないので、きっと本能によって集めているのだろう。あるいはもしかしたら、檻に閉じ込められ飢え死に寸前だった自分を救ってくれた山田への礼のために。
「ショータ。サルミアッキ食う?」
サルミアッキの大袋を手に山田が近づくと、ホットカーペットにくっついていた顔が持ち上がる。砂糖のほか、カンゾウ、塩化アンモニウムなどを煮込んで固めた北欧由来のこの黒いグミキャンディを、なぜかこぐま澤は愛好していた。2センチ程度の円柱形であるそれを山田がひとつ差し出すと、鼻をすんすん動かしこぐま澤の口が迎えにくる。ふたつ、みっつ、と差し出せば、旺盛な食欲でぺろりと食べつくした。こぐま澤があまりに美味そうに食べるので、山田はもひとつ端をちぎって口に入れてみる。
「うん、ゲロマズ…」
こうして一緒に食べてみれば美味さが理解できるかもしれないと山田は時々口にしてみるが、毎回ツンとした特有のアンモニア臭となんとも言えない甘みに顔を顰めることになる。手の中に残された黒い欠片は、ふんふんと近づいてきたこぐまの口が攫って行った。まるで、お前にはこの美味さはわからんだろう、と言われているようだ。こぐまの主食兼好物はこのサルミアッキで、木の実やりんごなど一般的に動物園にいる熊が好むような食べ物には一切関心がない。だが近所のおばあさんがくれたりんごやバナナは、皿の上に置くと大人しく食べてくれる。いつもおばあさんが寄って来て飽きるほど撫でまわされても、じっとしているだけで愛想を振りまいたりしないのに。
「優しいよな…ショータ」
人の感情の機微が分かるのだろう。こぐまの見た目で、まるで人間みたいに。もしかしたら十分に成人を過ぎた自分と同じくらいに。そう思うと同時に、なぜか少しの寂しさが山田の胸に落ちる。外のつめたい空気のカケラがジャケットのどこかに残っていたのだろうか。山田はマグカップの中に残っていた一口のホットミルクを飲み干す。
「…寝るかね。ショータ、お前はまだそこにいるんだろ?」
するとこぐま澤はむっくりと起き上がって山田の足元に寄ってきた。夜行性のこぐま澤は夜眠らず毎日ここでストーブの番人をしているが、今日は珍しく一緒にベッドに入るらしい。
「センキュ…」
頬が緩む。山田はこぐまの頭を撫でてストーブを消すと、いっしょに寝室に向かった。
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