コシチェイとカラダンダがニスロクの鬼飯を食う話

mgd非CP

 

 

手元で揺れるランプの小さな火。行儀よく整列した銀のカトラリー。

まるで高級レストランのようだが、純白のクロスが敷かれたこのテーブルの周囲はおぞましい暗闇に飲まれている。ここは一体どこなのか。私の隣には、もう二度と会うことはあるまいと思っていた男が、同じように座っている。仮面の向こうに見える顔の右半分で、眉を寄せ不快を露わにしながら。
「…何かの罠かねこれは。くだらん幻覚でも見てるのか?」
コシチェイにとってもこの状況は与り知らないものらしい。我々の認識は同じ、ということだ。
「我々を罠にかけようという者がいるとすればメギドラルか」
「ふん…まぁ死んだ者に罠をかけたところでクソの役にも立たんことはアホな議会の連中でも分かると思うがね。刑罰と見るべきかねぇ…それにしても妙だが」
答えの出ない問答をしていた我々の間に、突如皿を手にした腕が割って入った。暗闇からぬっと姿を現したのは、料理人のような恰好をした男だ。――出来る。私は直感でそう感じた。静かで、一切の隙がない存在感は威圧的ですらある。コックコートに収められた体躯の良さは武術の心得がない一般人のようには見えなかった。
「一品目。ぷるぷる豆の冷製スープだ」
警戒心を露わにするコシチェイと私に目もくれず、男は純然たる料理人として我々の前にスープ皿を一皿ずつ音を立てずに置く。なるほど確かに男の言葉通り、皿には淡い緑がゆったりと満ちている。私の背から自然と緊張が和らぐ。ぷるぷる豆のスープはトーアの庶民がほぼ毎日口にすると言っても過言ではない、郷土の味そのものだ。通常は冷製ではなく、温かいものだが。皿に目を注ぐ私の一方、コシチェイはスープを一瞥することなく男に問う。
「君は誰だ?…いや、誰でもいいか。出口を教えて貰おうかねぇ、私は知らん奴に飯を食わされる趣味はないよ」
「私はニスロク、料理人だ。席についた以上、貴様は私の客だ。捌かれたくなければ最後まで座っていろ」
…こんな偉そうな料理人には会ったことがない。彼はまだ次の料理の支度があるのか、コシチェイの返答も聞かずに我々の背後の暗闇に再び姿を消した。…私は状況に身を委ねることにした。毒かも知れぬが、すでに死んでいる身だ。銀のスプーンを手に取り、一口。…美味い。新鮮な豆の風味が立っているのだが、私がよく知る後味とはどこか違う。だがその違いが好ましく、舌を甘やかす豊潤さに捉われる。気づけば夢中で皿を空けていた。コシチェイは大きなため息を一つ吐くと、つまらなそうに一口すすり、後は興味を失ったのか肩肘をついてスプーンでぐるぐるとかき混ぜている。まるで児戯のように。
「全く無駄な文化だねぇ…一皿一皿ちんたら出されるもんを食って喜ぶとは、老い先短い自覚のないアホなヴィータが考えそうなことだよ」
コシチェイは食事そのものを好まない。長く一緒にいるが、私も彼が資料を探るかたわら乾いたパンを不味そうに齧っている姿くらいしか目にしたことがない。
ニスロクという男が再び背後の暗闇から現れる。行儀が良いとは到底言えないコシチェイの姿を見て、彼は険しく眉を寄せる。私はすかさず声をかけた。
「ぷるぷる豆のスープは故郷でよく飲んだが、これは初めての味わいだった。美味いな」
「トーアで一般的に好まれるスープは今日のコースには少々淡白すぎるのでな。豆本来の風味を消さん程度に癖の強いチーズを隠し味に使ってある。さらに飾りとして表面に数滴垂らした紅いメアリーオイルの香り高さが鼻孔に残り、余韻を与える」
彼は淀みなくそう答えると、私の空いた皿と、ほとんど手つかずのコシチェイの皿を取り、下げに行く。次の皿はすぐに運ばれてきた。
「前菜だ。貴様はトーア出身なのだな…肥沃な大地に多種多様な作物が育ち、海産物にも恵まれた豊かな地だ。それを一枚で表すプレートにした」
彼は皿を彩る幾種もの前菜について一つ一つ簡潔に説明をしてくれたが、私の頭には入ってこない。トーアの騎士時代もこれほど細やかに手をかけられた煌びやかな料理の皿を見たことがなく、ただ呆然と魅入ってしまった。ニスロクは説明を終えると再び暗闇に消える。私がちらと横を伺うと、コシチェイの呆れたような眼差しとぶつかった。
「…カラダンダ。私のことは構わず食っていい。そんな呆けた面をしてるくらいだ、故郷の味が恋しいんだろう。私はこの皿になんの価値も感じんが、お前の感傷には水を差さんよ」
「……あぁ」
彼が少しでもこの食事を楽しめればいい、と望んでいた自分に気付かされる。…愚かなことだ。
コシチェイは冷ややかな目で皿を見下ろし、二口ほど口にした程度でフォークを置いてしまった。私は自分の皿に集中することにし、美しい前菜一品一品を味わう。肉、魚介、野菜、果物、茸…私がよく知っている食材もあったが、どれも新しい印象を与えてくる。私の皿が綺麗に空いた頃、ニスロクは対象的な我々二人分の皿を下げ、メイン2品を順に運んでくる。大海老のグリルの柑橘ソース、甘いデザートワインソースを添えた牛フィレ肉と家鴨の肝臓のパイ包み…言わずもがな、どちらも見事なものだった。コシチェイはソースを舐めた程度でカトラリーを無造作に置いた。…最後はデザートだ。ニスロクが運んできたのは、ガラスの器に赤い果実類とミルク色の寒天を満たした通称『宮廷デザート』だ。
宮廷、と名が付くことからヴァイガルドの多くの者はこれを王城に仕える料理人が生み出した甘味だと思っているが、実は我がトーアの料理人が生み出したものだ。公国の城に仕える料理人が考案し、それを気に入った昔のトーア公がヴァイガルド王の城に招かれた際に披露して広まった。武力だけではなくトーアが豊かな食文化を持つ証であり、誇りである逸品だった。

ワインと果実を煮詰めた赤いソースが実に美しく、私は胸に膨らんだ期待と共にスプーンで一口すくう。
「!?」
舌を目が覚める程の甘さが突き抜けた。快ではない、もはや不快なほどに、甘く、甘ったるい。どういうことだ? これまでの料理は素晴らしかったのに、はっきり言ってくれは…食えたもんじゃない。後ろにいるニスロクを振り向こうとした私の目に、隣に座るコシチェイの姿が映る。
「ふむ…これは食えんこともないね」
相変わらず姿勢は怠そうだが、コシチェイは途中で投げ出すことなくスプーンを口に運んでいた。
「さっきまでの不味い料理とは違う。何か変えたのかね?」
「貴様は味覚が鈍いのだろう」
「あァ?」
「その肌の血色の悪さ、肉のない体つきを見れば日頃ろくに食事を食っていないのは分かる。それが何故かは判らなかったが…貴様が食べ残した皿を見て理解した。貴様は味を感じることができんのだ、甘さを除いてな」
「……テメェ、何が言いたい」
「糖はヴィータにとって根源的なエネルギーとなる。人が苦みを反射的に毒だと感じる一方で、甘みを感じ、求めるのは生への欲求とも言える。私は食材を用いてそれに応えた、料理人としてな。それだけだ」
コシチェイはふん、と鼻を鳴らし、「生への欲求だァ?…死んだ身でそんな不毛なもんを求めたつもりはないが…まぁいい」と呟いた後は、黙々とスプーンを動かし器を空けた。私も気は進まないがなんとか口に押し込め完食した。
「カラダンダ。お前の口にも合うか」
「…あぁ」
いや、とても甘過ぎて食えたもんではないと思ったが、コシチェイが僅かに満足そうな表情をしたので、…美味かった、と付け加えた。しつこい甘さにまだ喉がムカムカするが、しかし私の心は不思議と満たされていた。私は、運命を共にした友人としてコシチェイと食事をしたり酒を飲んだりしたかったのだ。
いつも乾いたパンを不味そうに齧っていた彼自身、自分の好物が甘味であることを気づきもしなかっただろう。もしかしたら、味覚がないことにさえ無自覚だったかもしれない。何の手も施されない生の肉を牢の中に雑に放られ、虚心のまま齧りついて育った男がどうして食事や自分の味覚に関心を持てるのか。

ニスロクは「これも貴様の気に入るだろう」とデザートワインを一本開け、我々の揃いのグラスに注いだ。やはり、喉がいらいらし胸が焼けるほどに甘い。だが愉快だった。
「ニスロクよ。なぜ我々に食事を振る舞ってくれた? 我々と君は初対面だが」
「…私の望みではない、ある者に強く望まれたのだ。貴様らが食事と酒を共に楽しむのをな」
ある者…――考えを巡らせながらふと正面のコシチェイを見ると、酩酊したアイスブルーの瞳に紛れもなくヴィータの形をした騎士の男のシルエットが映っていた。あぁ、そうだ…私にとってもこれは久方ぶりの食事だったのだ。アニマ・アルマとなり口も消化器官も失って以来の。