夏飴すくい(ひざしょ既刊)サンプル

hrakマイ相

思い出記録用長めサンプル😊 2017年8月発行の犬猿の仲から始まるひざしょUA時代ラブコメ。体育祭でのガチバトル、縁日や海での夏~なデート、精通…思春期な夏の思い出など。表紙は『Riss』の月島ぐりさんから頂きました!

 

 

※スマホやSNSのない世界です

※2017年当時の作品なので白雲くんはいません

 

 

 

 ◆『落としましたよ』から始まるベタな恋

 

 

ふわりと空気を含んで揚がったドーナッツ生地。その輪の半分を甘くコーティングするチョコレートが、店内の照明を映し、てらてらと光る。淡いピンクの壁に囲まれた可愛らしい店内にはどこかミスマッチな男子高校生4人がその一角を占めていた。

「先生もお手上げって感じだよなあの2人」
「入学一ヶ月でこれじゃ卒業までに絶対何か起こすぞあいつら」
「殺し合いってか。やったらどっちが勝つと思う?」

一人の問いかけに、他3人がうーんと唸る。日本最高峰のヒーロー養成機関、雄英高校ヒーロー科1年A組。才能溢れる面々の中で入学早々トップを争う山田ひざしと相澤消太、2人の実力は端から見ても甲乙付けづらかった。
黙り込んだ4人の元に、コーヒーのおかわりを薦めにウェイトレスがやってくる。膝上十五センチの明るいオレンジ色のミニスカートに吸い寄せられる8つの目。彼らがこのドーナッツ店で好んで放課後を過ごす理由だ。

「直接バトったら勝つのは相澤じゃねーか?山田の個性を消せるし、容赦ないからな」
「いやー山田タフだし頭いいぜ?んな簡単にやられる奴じゃないだろ。持久戦になったら勝つのは山田だと思うね」
「ンガ~決められない!引き分け!」
「ま、体育祭でハッキリするって」
4人が口々に話していると、開いた自動ドアから金色のひよこ頭が入ってくる。4人はそのくたびれた足取りをおかしそうに笑い、ひざしを迎えた。
「お疲れー。リカバリーガールとの放課後デートどうだったよ」
「健康診断で身長ごまかすなんて小学生でもやらねーぞ」
友人達にげらげらと笑われ、リカバリーガールに与えられた懲罰的雑務の疲れをあらわにひざしが大きく溜息を吐く。身長で少し負けている相澤に勝とうと、測定で頭にハンカチを重ね、自分の髪色に似た金髪のカツラを被っていたのがバレたのだ。カツラが量販店で買った安物であったことに加え、頭が奇妙に浮いていたのがまずかった。
「リカ婆ちゃん『ちょうどいい機会だから』って保健室のシーツから何から俺に洗濯させてよー…。床の雑巾がけも『腰が入ってないよ』ってケツ叩かれるしもうサイアク」
ひざしはそう言いながら友人達が詰めて空けてくれたソファに鞄を置き、財布を取り出してドーナッツが陳列されたレジに向かう。甘いものが特別好きなわけではなかったが、今日はヤケ食いでもしなければ気がおさまらない。
「しっかしマジで仲悪いよな、お前と相澤。まーどう見ても気の合いそうなタイプじゃないけど」
「俺ぁ誰とでも仲良くしたいぜ?入学式の日、測定テストのあとに先生相手に組み手して個性お披露目したじゃん。終わった後に俺『お前みたいな個性見たことない!かっこいいな!』って話しかけたのに、アイツ無視!ガン無視!無言でハンッて鼻ならして行っちまってよ。俺はむなしくシェイクハンズウィズエアーってわけよ」
「フラれて怒ってんのね、山田は」
「ワッツ!?違うっつの!!」
相澤の陰気なところが気にいらねぇって話だろ、とひざしは友人の一人、年の割にニヒルな笑い顔の似合う橋本に言い返す。そのままの勢いで手近なドーナッツをガブリと噛めば、もちもちした生地にたっぷりかかっていたきなこが気管に入り、ひざしは激しくむせた。

「まー確かに相澤暗いよな」
「暗いっつーか誰とも関わりたくねぇって感じ。友達なんかいりません、って顔。ひざしがムカつくのも分からなくはないな」
「なー!ありゃ絶対モテねーよ」
「いや、お前もうるさ過ぎるけどな山田」
「橋本くん!!」

背を照らす溶けかけた夕日。長く伸びた影を踏みながら、ひざし達は駅へ向かう。雄英最寄りの駅前は十八時を回り、部活動を終えた生徒たちの姿がまばらにあった。

「じゃーな!」
一人だけ方向の違うひざしは友人たちに手を挙げ、空いた電車に乗り込む。鞄から音楽プレイヤーを取り出すとイヤホンを耳に入れた。鼓膜を心地よく打つのは最近好んで聴いているアメリカのパンクバンドだ。潔いほどキャッチーで、USセレブたちの人形を爆破していくPVも面白い。ひざしが指先でリズムに乗りながら車内に目を巡らせると、視界に異物が引っかかった。好敵手の相澤だった。
空いている車内にもかかわらずドアのそばに立ったままの涼しげな横顔。黒い前髪のかかる気だるそうなまなざし、血色の悪い色白の頬は学校にいる時と変わらず、ひんやりとした雰囲気を保っていた。
自分と対照的だからだろうか。なぜか目を離せず相澤を見ていたひざしは、その耳に自分と同じようにイヤホンが嵌っていることに気づく。
(あいつが音楽なんか聴くのか?)
少し親近感を感じてひざしの心が浮き立つ。しかし次の瞬間、相澤はごそごそと鞄の中から英語のテキストを取り出し目を通し始めた。恐らく、今日授業でやった単元のリスニングパートの復習をしているのだ、とひざしは気づく。
(つまんねぇ奴…)
霧散した微かな共通点。ひざしは何となく落胆しながら、それでも飽きずに相澤を見つめていた。黒い前髪の下で、元々目つきのよくない目が細み、眉が寄る。苦悶、といった表情。
(…あいつ英語苦手そうだもんなー)
入試でも自分が総代で相澤が2番になったのもそのせいかもしれない、とひざしはぼんやり思う。
ひざしが降りる1つ手前の駅に到着するアナウンスが流れる。相澤が英語のテキストを鞄に仕舞ったので、ここで降りるらしいことが分かった。そのとき、相澤が閉めた鞄の端から何かが落ちる。音もなく床に着地した黒。相澤は気づかず、ドアを抜けて降りて行ってしまった。
「おい、」
ひざしは叫んだが、声がもはや届かないことに舌打ちし、駆け寄って相澤の落し物を拾う。顔を上げればその背中は遠く、もう改札をくぐっていた。ドアの閉まるブザー音。ひざしの足は、とっさに車外に出ていた。

(なんッでだよ……??)

ひざしは黒い落し物を開いて驚いた。パンツだ。紛うことなき黒色で無地の、色気も愛想も素っ気もない、いかにも相澤らしいボクサーパンツが、ひざしの手の中にあった。紺の大判のハンカチに包まれていたそれを、何だろうという些細な好奇心で広げてしまったことをひざしは後悔した。何より、拾ってしまったことを。考えるより先に体が動いてしまうヒーローはつらい。
改札を出れば、はるか遠くに相澤の背中が見えた。追いかけて渡すかどうか迷ったが、息を切らして追いついて『パンツ落としてたぜ!!』と声をかけるのは、さすがにはばかられた。神経のズ太さをクラスメイトに揶揄されるひざしと言えども、そこまでの荒業はこなせない。迷った挙げ句ひざしが出した結論は、とりあえず後をつけ、相澤の家のポストにコッソリ入れて帰ろうというものだった。

(しっかし何であいつパンツなんか…)

授業やトレーニングで汗をかいた時の替えだろうか。それほど潔癖な人間には見えないが…ひざしが考えながら歩いていると、相澤が一軒の家に入っていった。
ドアが閉まったのを確認し、少ししてからひざしは家に近寄る。二階建ての庭付きの一軒家だった。母、姉と小さい頃からマンション暮らしのひざしからすれば、その佇まいは立派に映った。しかしよく見ると重そうなドアには小さな傷が幾つか走っていた。自然に入ったものというより、何か文字を書くために意図的に傷が付けられ、それが上から消されたように見える。
(…?)
何か普通ではない、異様さを感じた。ひざしは眉をひそめて首を傾げてから、当初の目的を思い出す。塀に囲まれた相澤家で、入り口のドアへと続く開閉式の柵の隣に藤色のポストがあった。ここにパンツを投函して帰ればいいのだ、とひざしは鞄の中に手を入れる。投げ込み口の下には、「相澤彰介・曜子・消太」とあった。3人家族のようだ。
(父ちゃん『彰介』、か…『しょう』の響きはこっから取ったのかな)
「うちに何か御用ですか?」
「ウォワッ!!」

急に後ろから声をかけられひざしは叫んだ。
振り向けば、1人の女性が立っていた。透けるような白い肌、さらりと胸まで伸びた黒髪。眉頭から優雅に下りていく細眉と、その下で静かにひざしを見つめる黒曜石のような瞳、その動じなさ。
「消太のお友達ですか?」
「ヤ、えっと、は、はい…」
紛うことなく相澤の母親だった。声をかけられた驚きを上回る感情でひざしの胸がバクバクと鳴った。はっきり言えば、けっこう好みのタイプだった。
「消太がお友達連れてくるなんて今までなかったから嬉しいわ…どうぞ上がって、もう帰って来てると思うの」
ひざしはぎこちなく頷く。パンツをコッソリポストに入れて帰るはずじゃなかったのか?そもそも友達でもなんでもない、むしろ学年1仲の悪い相手だ。そう突っ込む頭の中の声を押しとどめたひざしは、ドアを開けてどうぞと屋内を指した美しい母親にペコリと頭を下げて従うだけだった。

「消太、お友達来たわよー!」
2階に向けた母の声に、え?と声が返ってきたが、すぐに階段の奥から相澤が降りてきた。眉をひそめすでに怪訝だった顔は、ひざしを見ていっそう険しい顔になる。
「なんでお前が、」
「消太、立ち話もなんだからお部屋に上がってもらいなさい。今ケーキ用意するから。…何君?」
「あ、山田です…」
「山田くん、ごゆっくり」
しとやかに笑った薄い唇にひざしの頬が赤くなる。文句を遮られた消太はその横顔に眉をひそめたが、結局、来い、と愛想のない一言を投げつけて奥へ消えた。

 

あまりにも重たい沈黙に、テーブルの上に並んだショートケーキまで崩れそうだった。

「…相澤って感じの部屋だな~」
仕方なく口火を切ったひざしは辺りをきょろきょろと見回す。ほとんどモノトーンの、無駄な色がない部屋。ものも少なく、本当に必要なものしか置いていないといった様子だ。ただ、壁の一面を埋める本棚だけがみっしりと蔵書を蓄えていた。
「すげー本がいっぱい。全部読んだの?」
「…ほとんど親父のだ。置き場がねーから俺の部屋まで占領されてる。ケーキ食ったら帰れよ」
「言われなくても」
長々おしゃべりをするつもりはないと暗に言う相澤にひざしは少し憮然としながら返し、大きく一口に切ったケーキを口に運ぶ。ドーナッツで腹が膨れているが行きがかり上食べないわけにはいかない。隣では相澤母が入れてくれた紅茶がふわりと香る湯気を立てていた。

「それでなんの用なんだ?」
相澤の少し苛々とした問いに、ひざしは頭を巡らせる。お前が落としたパンツを届けに来てやったぜ、と言えばこの可愛げのない同級生の鼻を明かせるのかもしれない。が、それではパンツを返してハイさよならと話が終わってしまう。少し勿体無い気がした。敵情視察をしたいということなのか、ひざし自身もよく分からなかったが、もう少し相澤のことを知りたいと思った。
「お前を駅で見かけて、俺たち学校で結構いがみ合ってるけど、ちょっと腹割って話してみてぇなー…ってさ」

そんでついてきちゃった、と言えば相澤が不可解そうに眉をひそめてから、ニッと意地悪な顔で笑った。
「腹割って、カツラにハンカチ詰めて身長伸ばす話をか?」
「ッ~~~」
今日のクラス全員の前でリカバリーガールに叱られたシーンが浮かび、ひざしの頬がカッと赤くなる。この野郎やっぱりイケ好かねぇ、とひざしはフォークを持つ手で拳を握り締めたが、鞄の中の相澤のパンツを思い出す。落ち着け俺、こっちには最終兵器のパンツがある…、と自らに言い聞かせ、フゥーと深く息を吐いた。

「…じゃなくてさ!もっとフツーの話だよ!」
「たとえば」
「…そだな…相澤はなんで雄英に入ったの?」
「ヒーロー目指すならトップの養成機関に入るのが手っ取り早い。そんだけだ。他に何かあんのか?」
愛想のない即答に、さすが筋金入りだなと苛立ちを通り越してもはや少し関心しながら、ひざしは答えた。
「俺もそうだけどさ!けどやっぱ、校風が良くない?教師も生徒も自由ってとこが。同じトップ校でも士傑は制服も校則もガチガチに厳しいらしいしさ」
相澤は少しだけ興味を惹かれたように、三白眼でひざしをじっと見つめて言葉を促した。
「活躍するヒーローでもオールマイティーな奴はほとんどいなくて、みんな得意不得意あるけどいかに自分の個性を伸ばして強みで戦うかじゃん。雄英の校風ってそういう意味でスゲーいいと思うんだよね。自分で自分に合った最善を選べる自由がある。何より雰囲気がフツーに気持ちいいしさ!」
ひざしの独演を相澤は黙って聞いていたが、固かった表情を初めてゆるめ、微かに笑った。
「お前にはいいだろうな」
仏頂面に垣間見せた、やわらかな笑み。言葉にはからかいのニュアンスもあったが、クラスで賑やかしく騒ぎ通して自由を謳歌するひざしのキャラクターを肯定する穏やかな響きがあった。
…あ、俺は嫌われてないんだな、とひざしは直感的に思った。思ったと同時に、ほっとした胸がドクリと音を立てた。一瞬垣間見えた表情が仕舞われてしまった相澤の顔から、まだ目が離せないでいた。

「ケーキ早よ食え」
「ア、おう…」
相澤は自分のケーキに手を付けず、ひざしがカチャカチャとケーキをフォークで切って、口に運ぶ音だけが響いた。

「相澤ってさ、なんでクラスの奴らと喋らねーの…」
ぽつりとこぼしたひざしの本心からの疑問。相澤は対面する無垢な表情を見つめて少し黙ったが、面倒そうに言った。
「喋ってはいるだろ、最低限のことは」
「そうだけどさ、誰ともつるまねーし…」
「時間がないからだ」
「は?」
理解が追いつかず間抜けな声をあげたひざしに、相澤の目つきが一瞬険しくなる。俯いて長い前髪で隠れる表情。ひざしが何か口にするより早く相澤は立ち上がり、俺はもう出かけるから帰れ、と温度のない言葉を落とした。習い事でもあるのか、その手は退出を促すように部屋の隅に置かれていたスポーツバッグを持っていた。
ひざしの皿の上はもう空になっていた。

 

 

◆残酷な運命

 

 

とうとうと教室に響く、教師の声。

「個性の使用限界には2種類ある」

「短時間に使い続けることで本来の威力を出せなくなる一時的な使用限界が一つ。もう一つはヒーロー活動を通じて長年自分の個性を使い続けることで力が徐々に弱まり、最終的に能力を失う、永続的な使用限界だ。つまり個性の『寿命』といってもいい」

「だが、すべての個性に寿命があるわけじゃない。どういう個性に寿命があるか分かるものいるか?」

教師の呼びかけに答える声はなく、教室はシンと静まり帰っていた。個性を失うというヒーローにとっては致命的な事実、テーマの深刻さに誰もが声を上げかねているようだった。
ひざしが手を上げかけた隣で、白い肘が上がった。

「発動型個性。そのうち、肉体への依存度が高いものは特に寿命が短い」
淡々と答えた相澤の回答に担任がうんと頷く。
「正解だ。このクラスじゃ特に相澤、山田。お前たち二人が要注意だな。よく歌手で若い頃は高い声が出ていたが年をとって同じように歌えなくなるパターンがあるだろう。目や声といった粘膜から構成される器官はデリケートで、酷使に弱い。失明、失声して引退したヒーローもいる」
担任は静まり帰った教室を見渡す。
「これは決して脅すために言ってるんじゃない。相澤、山田に比べれば影響は軽微だが、すべての発動型個性は使用と加齢による威力の低下がある。ヒーロー活動を長く続けるには自分の個性とおのおのよく向き合うことだ。以上」
チャイムが鳴り、授業の終了を告げる。昼休憩にようやく賑やかさを取り戻した教室で、相澤は席を立ち廊下へ出て行った。いつもと何ら変わりないその素っ気ない背を見送れば、ひざしの肩にポンと手が乗る。
「珍しいじゃん。相澤に先答えられた、悔しい~!ってならないの?」
真後ろの橋本が、唇の片端を上げて笑う。この男に珍しく、妙に明るく軽い様子で話しかけてきたのはさきほどの授業の内容にひざしが動じていないか気にしてのことかもしれない。
「ちょっとぼーっとしてた。…まあ午後水難救助訓練だから、泳ぎは俺の方が得意だし勝つぜ」
「よっしゃ相変わらずで安心した。メシ行こう」
おう、と答えながらひざしは個性学と書かれた教科書を閉じた。その幾何学模様の表紙の文字にふと目が止まる。

『総編集:相澤彰介』

相澤か、まあ珍しくない名字だ、と思いながらひざしは橋本や後に合流してきた友人と食堂に向かって廊下を歩く。窓から差し込む日の光に目を細めた瞬間、ふとある映像を思い出した。昨日訪れた、相澤の家の前のポストだ。

『相澤彰介・曜子・消太』

(そうだ、彰介ってもしかして…?)

壁の一面にぎっしりと詰まった難しそうな学術書の背が浮かんだ。

沈みかけの船の中から一体でも多くの人形を救い上げる水難救助訓練。得点は僅差でひざしが相澤を上回った。しかし最後の一体を奪い合ったためお互い減点、同時に教員のげんこつも食らった。
「相澤さあ」
「ああ?」
水はけのいい更衣室の網目の床に、黒髪からぽたぽたと落ちるしずく。ひざしとの競り合いで疲弊したのか、水着一枚のままロッカーの前で長椅子に腰掛けていた相澤の背に声をかけると、怒気をはらんだ声が返ってきた。
「個性学の教科書の総編集、相澤彰介ってさ」
くしゃりとワックスのとけた濡れた金髪で見下ろしてくるひざしをじっと見てから、相澤は目を背けるようにそっけなく答えた。
「親父だ」
「やっぱり!??だから個性にも詳しかったんだな」
「そりゃ自分で勉強しただけだ、親父の本は借りたけどな。お前も個性の寿命が短いんだから最低限のことは知っとけ」
無感動な目を下に向けたまま、相澤はひざしの方に体を向ける。
「個人差はあるが目を使う個性の場合、生涯での発動可能な回数はおよそ2万回。目の個性は肉体に依存する個性の中で最も寿命が短い。次は同じ粘膜である喉だ」
「フーン。2万でも十分な数字の気がするけど」
「俺の場合は失明するのがその数字だ。戦闘でまともに使えなくなる実質的な使用限界はもっと早い」
相澤はそう言って着替えの入っているバッグを引き寄せ、目薬を取り出してふたを開けた。
「…それってなんか特別な目薬?」
「親父の研究所からもらってる。けど使用による個性の劣化を止める科学は存在してないから何か特別効果があるもんじゃない、市販薬よりマシってだけだ」

そう言いながら相澤は上を向いたまま瞬きをする。目尻からあふれた透明なしずくが滑り落ちる様を、ひざしはなんとなく眺めていた。ふ、と習慣を済ませて軽くため息をついた相澤はうつむき、それからひざしを向く。

「お前も喉、気をつけろよ」

涼しげな眼差しの下で、相澤のひとさし指が自らの喉の上を、つ、と滑る。ケアをきちんとしろ、と伝えるサイン。電灯の下、自分をまっすぐに見つめる瞳が薄い潤いの膜を張ってきらめき、引き込まれる心地がした。混じり気のない、存外にきれいな目。
「…うん」
頷きながらひざしは、こいつやっぱり俺のこと嫌いじゃないんだな、と思った。同時に、俺もこいつのこと嫌いじゃないな、と思った。

街の外れは夜9時でも静まりかえっていた。汗を流して走るひざしの足音と薄いナイロンジャージが立てるかさかさという音だけが忙しなく響く。辿り着いたのは昔電車が走っていた廃トンネルだ。すぐにコンクリートで行き止まりになってしまうその洞穴の入り口に立つと、ひざしは荒い呼吸を整え、腹に力を入れて壁に叫んだ。YEAH、と陽気な言葉に揺れる上下左右の壁と、頬に当たる跳ね返りの風。正面のコンクリートには直径五十センチほどのヒビが細く走った。
「イ~感じ…」
ひざしは首元の指向性スピーカーを満足げに撫でる。体育祭に向けて今日支給されたばかりのそれはずっしりと重たいが、その重さに相応の信頼感があった。
体育祭であの無感動な三白眼が驚きに見開かれるのが楽しみだな、と高揚した気持ちでひざしは帰路につく。マンション3Fへ昇る無人のエレベーターの中、にまにまと口元に笑みが浮かんだ。競り合うひざしではなく、いつも自分の設定した遠い目標だけを見据えているような相澤の目がこちらを向くのは想像しただけで胸が沸き立った。

 

ふにゃり、と足の下でひしゃげるブラジャーのカップ。ひざしの意気揚々とした気持ちは、帰宅して一瞬で萎えた。
「ハーーーーーー…姉ちゃん…。脱いだ下着を床に散らかすのやめてくんない?」
リビングで椅子にだらりともたれた金髪美女が、テレビからちらりとひざしの方を振り返る。
「散らかしてないわよ。ソファにちょっと引っかけてたのが落ちたんでしょ」
「どっちでもいいっつの!脱いだ下着はソファに引っかけとかないで洗濯かごの中だろ。何度言やあわかるの」
そう言いながらひざしは踏んでしまったブラジャーを拾い上げ、まだソファの背に引っかかったままのストッキングも丸めながら洗面所に向かう。ここ数日トレーニングに熱を注いでいたため洗濯かごは積載量を超えてあふれていた。ひざしは面倒そうにため息をつくと、母と姉の下着をネットに入れ、残りもドラムに落とした。ゴウン…と呪詛のような重たい呻きを上げて、洗濯機が回り始める。リビングに戻れば、姉がひざしの作り置きの夕食をレンジで温めていた。

「今日これ何?ヒラメ?」
「カジキ。カギキマグロのフライ、タルタル添え。わさびキツめ」
「さっすがァ!分かってるじゃない」
皿を持ってテーブルへ歩いて行く姉はハーフパンツから惜しげもなく白い生足をさらしている。背で揺れる、くるりと綺麗に巻かれた長いブロンド。大学の頃モデルをやっていただけあって美しい彼女は、丸の内OLとなった今でも異性からのアプローチは絶えないらしい。
(男ってバカだ…)
実態はこんな自堕落な妖怪女なのに…、と口に出せば張り倒されること必至の文句を内心でつぶやきながら、ひざしは自分用の皿を戸棚から出す。きつね色にさくっと揚がったカジキマグロのフライにタルタルをかけて、ざるに上げておいた刻みキャベツを横に盛った。姉にとっては野菜がキャベツだけというのは不満だったらしい。ひざしと同じ、丸く大きな碧の瞳が茶碗に飯を盛っていた弟の背に向く。
「ひざし、サラダも~」
「Damn it!自分でやれよナァ~~…」

文句を言いながらひざしは湯気の立つ茶碗を置き、荒っぽく冷蔵庫の野菜室を開けた。

 

「…で、それが新しい戦闘用のサポートアイテムなわけ?」
髪と同様にきれいにカールされた金色のまつげを瞬かせながら、姉がテーブルの端に置かれたスピーカーを見る。
「そ、指向性スピーカー。これで声の威力がむやみに広がらねぇからぶつけたい奴にぶつけられるし、威力は増す…ま、体育祭で観客の鼓膜破っちまってもまずいからな」
姉の向かいで白米を咀嚼しながらひざしが答えると、ふぅん、と相づちが返る。
「ちょっとゴツくない?もっと小型で軽いやつにできなかったの?」
「ゴツい方がかっこいいジャン!」
「えーーー…相変わらずあんたの趣味よく分かんないわ」

姉がそう言いながらガラスボウルに盛られたサラダの上で花開くくし切りトマトを箸でつまみ、可憐な厚みのある唇に押し込める。と、玄関で鍵の開く音がした。
「おかえりー」
短い栗色の髪、スレンダーな体をパンツスーツで締めた母がリビングに入ってくる。くるりと大きな焦げ茶色の瞳がテーブルに並ぶ夕食をのぞき込んだ。
「今日は何ー?」
「カジキマグロのフライ、タルタルソース」
「サラダもあるわよ~」
「俺が作ったんだろ」
母はSo nice、と歌うように言いながらそれなりに値打ちのあるスーツを雑に脱ぎ捨てソファにかける。ひざしは横目でそれを見、姉ちゃんのずぼらさは遺伝だよなと思いながらキッチンに向かい、母の分の夕食を温め配膳した。焦げ茶の瞳は重厚なスピーカーを興味深そうに見つめていた。
「ふぅん、よく鳴りそうね。能率は?」
「最大290dB」
「マーベラス」

母は目の前に置かれたカジキマグロのフライにさくりと歯を立てながら賞賛する。
「HAGEに制作協力してもらえるなんて雄英生はいいわね~…これ普通に音源につないで音楽も聴けるの?」
「イけるぜ~」
「じゃ今度うちの期待の新人のデモ持ってくるから聴かせてよ。“神の音域”で売り出すとこなの、すごいからアンタ達にも聴いてほしいわ」
ひざしの母は小さな音楽会社で新人アーティストの発掘と育成の仕事をしていた。ひざしが生まれる前から続けている仕事だけに今は部門の統括を任されているらしく、家族3人のうち一番家を出る時間が早く、帰りが遅い。いつも忙しそうだが、楽しそうでもあった。

「で、いくらだったの?」
「…メシの後でいいよ」
「後でも先でも一緒でしょ。領収書出しなさい」
もう食事を終えていたひざしは立ち上がると、通学用の鞄の中から領収書を取り出し、母に差し出した。焦げ茶の目がにわかに大きくなり、ぎりぎり5桁で収まっているその額面を見たが、性能を鑑みれば特に驚きはないらしく、まぁこんなとこよね、と頷いた。

「後で振り込んでおくわ」
雄英生のサポートグッズの制作費は半額を国が補助してくれるため、サポート会社に支払う自己負担は半額で済む。つまり9万円のスピーカーのうち、4万5000円だ。
「俺も奨学金からちょっと出せるけど」
ひざしはプロヒーローになってからの稼ぎで返還する奨学金で毎月まとまった額の支給を受けているため手伝いを申し出たが、子供はつまんない気を遣わないの、と一蹴された。
「それより体育祭がんばりなさい。ぶつかるんでしょ?なんだっけあの子…相澤くんと」
「ハァ?俺話したっけ?」
相澤とは授業中にちょっとした小競り合いをしているに過ぎない。身長測定でズルをしようとした以外では忙しい母の耳に触れるような行動はしていないつもりだったので、ひざしは驚いた。
「お母さんのネットワークを甘く見ないことね。その筋じゃ今年の雄英1年はトップ2の競り合いだって話題よ」
「ふーん相澤くん?かわいいの?」

テレビのバラエティに没頭していた姉が話題に関心を惹かれたのか横から話に入ってくる。
「かわ…」
ひざしの脳裏に相澤の顔が浮かぶ。無駄な会話を避けるように一文字に閉じられた小さな唇。動じない、と言えば聞こえはいいが温かみの感じられない目つき。外界を遮断するように視線は常に下に向きがちで、猫背。
「かわいくはねぇな…全然」
いつも生き急いでいて愛想が無い横顔。だけどたまに優しい、気がする。もう少し笑えばいいのに、と思ってしまう。ただの小憎らしいライバルである筈なのに。
「…悪い奴じゃないとおもう」
「そりゃそーでしょ。ヒーロー志望なんだから」
「そういう意味じゃなくてさ」
ひざしは姉の突っ込みにそれ以上何を言っていいか分からず、空いた皿を持って立ち上がった。

自分の部屋に戻ると、体がムズリとして落ち着かない。ふと浮かぶ相澤の顔。先ほど会話に出たことに加え、体育祭が明後日に迫っているだけにより強く意識してしまうのだろう。ひざしはちらと机の引き出しの2段目に目をやる。渡しそびれている黒いボクサーパンツはとりあえずそこに突っ込んだままだ。

ひざしはベッドに転がるが、なんとなく落ちつかずマットレスの下から隠していたグラビア雑誌を引き抜いた。表紙でこちらを見る美女が、水着の下で乳首を浮き立たせている。そういう目的のために発刊されている、青年・男性諸君のお供。
こそりとスウェットの中に伸びる手。友人とはそういうノリになればオナニーやそのネタについて話をするが、ひざしにはひとつだけ誰にも言えない秘密があった。どれだけ扱いても吐精することができない。つまり、高校1年生にして、精通していなかった。早ければ小学生で済ませている筈の大人の階段を、ひざしはまだ上れずにいた。
「っ…」
指先で皮をぬるりと押し下げ、露出した亀頭をこする。カラーページをめくり網膜をいやらしくたゆむ女体で埋めれば、硬度はすぐに最高潮に達した。ベッドのシーツに頬を預け、微かに早くなる息を抑える。次のページをめくれば、黒髪の女が背をのけぞらせ男の上で乱れていた。小刻みに動き続ける指先がぬるりと濡れてくる。まだ精液は出なくても、カウパーは出るし達することはできる。
ひざしは騎乗位の女性の写真から、続きを妄想しようと目を閉じた。透けるように綺麗な色白の胸がたおやかに弾み、自分を迎え入れる。悦びで開かれる唇。セックスをしたことはないが、妄想の上でのふわふわとした性行為はそれでも十分ひざしを興奮させた。
(イきそ…)
亀頭に熱が溜まり、扱く手が自然と早さを増す。ぎゅっと固く目を瞑ったひざしの脳裏で、白い肌の女の目付きが剣呑になった。
(あ、え、?)
気付けば女は相澤の顔にかわっていた。今日水難救助訓練の後にみた、きらきらと濡れたまっすぐな目で自分を見上げる眼差し。白い喉から視線を下ろせば、均整のとれた薄い筋肉のついた体。胸があるわけでもない、間違いなく男である骨張った固さに色気などないはずなのに。濡れた黒髪から水が肌を滑り落ちるのが、瞳から目薬の混じった雫がゆっくりと落ちていくのが、フラッシュバックする。疑問と動揺のなか、ひざしはなぜか手を止められなかった。

「………っ、」
手の中にぬるりと大量の体液が出た。見れば掌から白濁の精液があふれ、シーツにまでどろりとこぼれていた。
「ウッソ…………………………………………………」

ここ数年の、ひざしにとって思春期イチの悩みだった未精通問題が、とつぜん解決してしまった。同じクラスの小憎たらしい男の裸で。

 

 

 

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